いらないもの
世の中に必要なものは有能な誰かがやってくれるから、私がやる必要はない。いらないものを、やっていこう。
と思いつつ、やはり「いらないもの」は「いらない」から存在しないことが多い。
生きるためのポジション取りは、原則椅子取りゲームだ。正確に言えば、椅子取りゲームに参加した方が楽だ。
定員があったり、役職があったり。何となく、あらかじめ用意された椅子に座ることが多いし楽だし慣れている。
だけど「いらないもの」で勝負するのは、椅子取りゲームじゃない。場所の選定や椅子の作り方の勉強、周りとの調和など「ありとあらゆる知識」が必要になる。知識だけじゃなく、タイミングや人柄など…とにかく何でもかんでも必要になる。
「いらないもの」で勝負するには、いらないものを維持するための「必要なもの」があまりにも多い。大多数の人は「いらないもの」で勝負するための「必要なもの」を集めるのに疲れて、去っていく。「いらないもの」で勝負するために「必要なもの」を集めるのが面倒だから、結局「必要なもの」中心の生活に舞い戻ってゆく。
いらないものは、無くても世界が成り立つ。だから、いらない。当たり前のことだけど、なんだか難しくなってくる。
「いらないもの」で勝負しようとすると、「自分はいらない存在なのではないか」という無力感と共存することになる。無力感に耐えきれないと、「いらないもの」での勝負は放棄したくなる。
「いらないもの」を長く続けている人はメンタルが強い。強いというか、どこか壊れてると言うべきか。
世の中のどれくらいの「必要なもの」を、ロボットがしてくれるようになるんだろうか。人間が「必要なもの」をしなくなったとき、何をしたがるのだろう。ごくシンプルに衣食住+セックスに落ち着くのかなぁって思う。
暇な人間は、仕方ないから生活に一生懸命になるんじゃないかな、そして暇ならセックスを適当にするんじゃないかなって思う。
だいたい精神的に退屈な時って、食べるか寝るか、スマホいじりながら性的な行為をしてるよね。退屈になると、欲求に従ったシンプルな行動をしたり、あるいは「生きるとは?」みたいな意味のない問答を繰り広げるのだろう。
世の中や自分にとって「必要なもの」を頑張ることは、そう難しくない。時間の流れに沿って、必要っぽいものを必要なだけこなせば評価は勝手についてくるし。
「いらないもの」を続ける難しさ、「いらないもの」を容認する難しさ。私にとって「いらないけど大切なもの」って何だろう?
・必要だし大切なもの
・必要だけど大切じゃないもの
・必要じゃないけど大切なもの
・必要じゃないし大切でもないもの
これらを分類するのって至難の技だね。
・必要だし大切なもの:お金、健康、命
・必要だけど大切じゃないもの:無い?
・必要じゃないけど大切なもの:文章、絵、音楽
・必要じゃないし大切でもないもの:嗜好品
一応考えてみると、こうなる。必要だけど大切じゃ無いものが存在しないってのは、当たり前と言えば当たり前か。必要なものは大切だもんね。必要なのに大切じゃないものってなんだ…。
わからん。
とりあえず、世の中は「必要だし大切なもの」は簡単に手に入るようになり、「必要じゃないけど大切なもの」を大切にする流れに向かうのだと思う。
今のうちにお金持ちになっておいて、早めに「必要じゃないけど大切なもの」をたしなめる心を持っておこう。
それが平成の次の時代を平和に生き抜くヒントになると思う。
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