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11月18日(土)最近の日記

こんばんは。月に1度か2度ある「調子のいい数日」を過ごしています。ここ3日間は調子がいい。理由を探りつつ、だらだらと日記を書く。


<ここ数日調子がいい理由、嬉しかったこと>

①教育実習で子どもとたくさん関わり、楽しかった。今年の実習が終了した。

②バイト代が入ったので、心に余裕ができた

③友達が写真を撮ってくれた

④美容師をやっている高校時代の同級生(元彼)に髪型を変えてもらった

⑤京都旅行の計画立てが楽しい


<一個ずつ振り返る>

①教育実習で子どもとたくさん関わり、楽しかった。今年の実習が終了した。

私は養護教諭(=保健室の先生)を目指す学科に所属している。そのため、実習も普通の教育実習ではなく、保健室での実習。今回は「就学時健康診断」の手伝いだった。就学時健康診断とは、来年入学する予定の年長さんが健診を受けに小学校に来るやつ。多分、たいていの人の記憶にない。私は覚えてるけど。

年長さん、ほかほかしてて、おりこうさんで、ひたすら可愛かった。私は普段からバイトでそれくらいの子と関わってるけど、バイトで関わるのは問題児ばかり。「普通の」年長さんっておりこうさんで、可愛くて、服装もちゃんとしてて、「親に愛されてるんだな~」って思った。やっぱり、愛情に満ちてる子どもと愛情に飢えてる子どもでは、表情や行動が全然違う。人は愛されなければ愛し方を習得できないんだろうな、と思った。

愛に慣れていない子どもは、愛を受け取るのがへたくそ。愛は主に、親と恋人からもらう。だから、親子関係がおかしかった人の恋愛はうまくいかない。簡単なこと。

実習中は、ただただ年長さんのことを「可愛いなぁ」って眺めてた。教員にならないって思うからこそ「可愛いなぁ」とか呑気なことを思っていられるのだろう。親に愛された子どもは、ちゃんと、可愛い。じゃあ、愛されなかった子どもはどうすればいいんだろうね。愛されなかった子どもが子どもであるうちはまだいい。「可哀想な子ども」として扱ってもらえる。保護の対象になる。でも、元・愛されなかった子どもが大人になってしまったら、愛されなかったという点では親がわるいのに、行動のすべてが自己責任になってしまう。どうしたらいいんだろうね。私は元・愛されなかった子ども(現・愛着障害系の大人)と深い関係になってしまうことが多い。自分がメンヘラっぽいせいか、引き寄せる。やめたい。そういう人、嫌い。メンヘラ嫌い。私を不幸にするのはいつも、「小さい頃虐待されてた」っていう人達。



②バイト代が入ったので、心に余裕ができた

バイト代と言っても、本当に少しなのだけど。それでも、「残高500円」の恐怖に比べたらだいぶ気が楽になる。早速洋服を買って、美容院に行ってしまった。でもそれが、心の余裕に繋がった。たまには容姿にお金をかけようと思った。仮にも私は若い女。23歳の女。いくら美容に興味がなくたって、可愛くありたい。

お金の余裕は心の余裕。心の余裕のために、お金稼ごう…。


③友達が写真を撮ってくれた

アイコンの写真も撮ってくれたやつ。自分大好きなので、自分の写真がたくさん増えて嬉しい。

一つ面白かったのが、「死」をテーマに撮ろうとしたんだけど、自然にしてたら「死」っぽくなったこと。友達にも「常に死相が出てる」って言われた。多分、顔とか体型とか髪とか肌の白さがそうさせてるんだろう、そして性格も。限りなく死の近くで生きているのかもしれない。

あとは、ZARDっぽいって二人に言われた。好きな容姿の人に似てるって言われて嬉しい。ちなみに。似てるって2人以上に言われたことがあるのは、ZARDの坂井さん、比嘉愛未、白石麻衣。多分顔が似てるってよりは、坂井さんやまいやんの「死にそう感」「血が通ってなさそう感」みたいな雰囲気が共通してるのだろう。


④美容師をやっている高校時代の同級生(元彼)に髪型を変えてもらった

失恋した後に元彼に髪を切ってもらうって、趣あるなぁと思った。しかも、とってもいい感じにしてくれた。だいたい髪を切ると後悔するんだが、今回ばかりはとても気に入った。やっぱり、一度好きになった人には何が似合うのか、よく分かるんだろうね。「佐々木希っぽく~。長さと色とパーマはおまかせ」っていうくそみたいな注文でこんなによくしてくれるなんて、さすが元彼だ。一切のセックスをしていない、高校時代のプラトニックな恋愛。ありがとうございました。


⑤京都旅行の計画立てが楽しい

来週京都に行くのが楽しみ。それだけ。



ここまで書いてて思った。「楽しい時、心地よい時のときの自分ってつまらないな」と。

最高に矛盾なんだけど。葛藤なのだけど。

満たされて、幸せいっぱいの私はつまらない人間。お金に余裕があると服や食事、美容系にお金をつかってしまう。観光にお金を使ってしまう。非常に浪費的で生産性のないものにお金を使ってしまう。独特の(?)憂いじみた文章も書けなくなる。

せっぱつまってた方が、追い詰められてる方が、人間の面白味が出る。

物書きって、どこか満たされないからこそ書き続けられるんだろう。すべて満たされて、幸福になってしまったら、文章なんて書けない。(ライターは別)


あぁ、矛盾だ。

文章を書きたいなら不幸であれ。

そういうことか?えー、幸せになりたい。幸せでありたい。

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