日記 「正しさの圧」が苦手

コミュ障(話すのが苦手だし好きじゃない)のにウェビナーを開催している。今日は話す役割はしなかったけど。

ウェビナーは人の話を聞けるから面白くて好き。でも話すのは苦手なのでなるべく話したくない。

だいたいの仕事は好きな面と苦手な面の組み合わせで成立している。どれくらいのレベルで苦手か?は人や場合によって許容度が変わってくるけども。

苦手レベルを測定するのは難しい。難しいし忘れる。挑戦したあとに「あーこれめっちゃ苦手なんだった」と思い出す。頭が悪い。

一律ルールをつくって、やることとやらないことを分けたいね。ウェビナーは話すのがけっこう苦手なので(たぶん発達的に苦手)、話す役は避けていきたい。

今日はなかなか体調がよくなかった。排卵のせいだと思われる。だるくて身体が熱くて眠たかった。夜六時に昼寝したのに今も眠いよ。

日常生活の中で「正しさ」を真正面から受けると疲れるし嫌になる。「この人正しいな」って思うと苦しくなる。

たとえば理想っぽい幸せそうな家族とか、ごもっともなことを言う言葉の強い人とか。ジャスティス感の強いものを見ると疲れる。

この症状が強いためわたしは「正しくなさ」をやたら好む。正しい正しくないの基準が謎だけど。正しさなんて人によっても異なるけれど。

いずれにしろわたしは「主流から外れていると思うもの」に親しみを感じるので、明らかにメインストリームっぽい強さを感じると疲れる。正しさ。キャリアスクールの仕事をしてるとときどき自分が「正しさ」を主張してる気がして、自分に対して「お、おう…」ってなる。

この人は嘘つかないなと思われることがわたしにとって人間関係で一番価値がある。うまくとりつくろって事を運ばせることには価値を感じないどころか「みんなでちょっとずつ嘘つきあって何してるんだろう」となる。

だから物事がスムーズにいかなくても、誰かに毛嫌いされてもいいから、「この人ってほんとに正直だな」「嘘つかないんだろうな」と思われていたい。

何か大きな成果のために過程を犠牲にする生き方はわたしはとても苦手である。すべては過程の心地よさ。過程の心地よささえ感じ続けていればいずれは自然とたどり着くところへたどり着くだろうと思ってる。

不自然に矯正してたどり着いた場所なんて、本当の居場所ではないのでは、と思ってしまう。なるべく自然状態がいいと信じて疑わない女である。

本を読んだら、仕事になるもの・お金をもらえるものは、人から感謝される何かである、と書いていた。その通りだと思う。

自分はどんなことで感謝されたら嬉しいのだろう。

・ななさんを見て、自分はこのままでいいのだと思えました
・成長なんてしなくていいと思えました
・自分を責めるのをやめられました
・本来の自分が分かりました

こういうことを言われたら嬉しいと思う。

「そのままでいいじゃん」と何らかの手段を使って伝えて、「あ、そうかも」と思ってもらえたらわたしは嬉しい。

だけど人に直接アドバイスするとかは苦手だから、必ずオンラインになる。

オンラインで、人と直接かかわらず、「そのままでいいじゃん」と伝えられる仕事がわたしの仕事になりそう。

どんな仕事だ…。

SNSなどを使って自分を開示して、それにファンみたいな人がつくイメージなのかな。難易度高そうだな。

目立ちたいわけではないけれど、そういう「見てくれる人の数」がある程度重要になってくる何かをやるべきなんだろうかね。

やれることが限られてるから迷わないね、楽だね。

みんなそのままでいいんだよ。
おかしいのは社会の方だよ。
偽物の価値や評価が多すぎてあなたが無能みたいな扱いになるときもあるけれど、本当のことに気付きかけているあなたは既に確実な正しさの中で生きているよ。
やるべきことは成長じゃなくて、適切な場所にハマること。縦に伸ばすんじゃなくて、横を歩きながら適切な場所におさまろう。やるべきことはそれ。成長じゃなくて、適切な場所におさまることが生きるコツ。

変わろうとする人、成長しようとする人が世界からいなくなって、現状の幸せを心でキャッチできる人が増えますように。

日常をやってくしかないし、幸せはそこにある。

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