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3年連続、命日、墓参りの凄さ

なかなか過激なタイトルですが、自分が亡くなって命日に3年連続墓参りにきてくれる人(身内以外)が3人いたら今生はOKという解釈を15年くらい前にするようになりました。所以は、私の義理の父が亡くなって一周忌を迎えた際に墓参りに同僚がきてくれていて、翌年もまた、次の年も。何年経っても命日にお花を手向けることにある種の違和感覚えました。「ビジネス現場の付き合いはとうの昔に終わり、もう亡くなっているのだからメリットを享受することはないですよ」と。

しかし、目の当たりにし続けるなかでこれば尋常ではない、これはとてつもなく凄いことであるということを気づきました。義理の父に対して「どんだけ生きている時にこの人達に尽くしたの?」と。

当然ですが、生きていれば上司・部下の関係だったり、世話になっているとか、可愛がってもらっているとかあります。しかしながら、亡くなってしまえば惜しい人とか、本当に素晴らしい人だったという話で終わりです。人間は良い意味で忘れゆく生き物です。さすがに一周忌くらいはお墓参りや故人を偲ぶかもしれませんが、2年、3年と経てば身内でもなければ流石に命日に必ずお墓参りするという想いは薄れるはずです。もしも行きたいという想いがあっても予定含め困難なことが発生するのではないでしょうか。

ミソは命日です。たかが3年と思うかもしれませんが、3年連続、命日に、墓参りを身内以外でするってかなりのことだと思っています。身内だって落ち着いたらとか、今は忙しいからとかで簡単ではないと思っています。だからこそ、価値がありますし、そんなことをしてくれる人を今生の人付き合いの中で築くことは簡単な目標ではなく、凄く高い目標だと思います。だから、私もいろんな想いはありますが、今生で私が亡くなって、3年連続命日に墓参りに来てくれるような人を生み出したのならそんな凄いことなく、良き人生だったと思おうと決めました。

ここで大問題なのは死後の世界なので私が確認する術はないうこです。しかし、だから良いのだと思います。毎日忙しく生きていると忘れがちになりますが、同じ時を生きる仲間たちを大切にして、亡くなっても感謝され続けるような濃い愛情を注げるような人でありたいと思います。まずは、今、この時、全身全霊で頑張ってくれている仲間たちに感謝したいと思います。

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