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島田慎二が語る、千葉ジェッツというチームの話。2011-12~2014-15シーズン編

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。前回のnoteは千葉ジェッツ成長の功労者の一人、小野龍猛との7年間と題し、彼との日々を振り返りました。

著書や各メディアのインタビューなどで"経営面・ビジネス中心の振り返り"は何度もしていますが、"競技面・チーム中心の振り返り"をすることは実は少ないんですね。思い返せば本当にいろんなことがあったなあということで、この機会に私とジェッツに関して振り返ってみようと思います。(経営面についてご興味ある方は、拙著『千葉ジェッツの奇跡』をぜひお読みください笑)

2011-2012シーズン あれよあれよと社長就任

まず、私がジェッツの社長に就任するまでのことを簡潔に。経営していた会社を2010年に売却したのですが、その会社の株主だったのがジェッツの道 永幸治オーナー(現・名誉会長)でした。

ジェッツの経営に関するアドバイスを求められ、最初は「会議に同席してくれればいいから」という感じだったのが、どんどんのめり込んでいくこととなり、今に至るわけです(笑)つまり、私の経営コンサルタントとしての最初のクライアントが千葉ジェッツということになります。

ですので、この年はチーム作りの根幹のところを私が主導していたわけではありません。開幕戦はチケットを購入して普通に観に行ったくらいですから。

bjリーグに参入することとなったジェッツの初代ヘッドコーチはエリック・ガードー。
そして初代キャプテンは佐藤博紀(現・バスケオペレーション部長)。ヒロキは千葉県四街道市出身ということもあり、良きキャプテンとしてチームをまとめてくれました。苦しい時代のジェッツで選手を経験していることは、フロントスタッフとなった今も役立っていると思います。選手時代はその人懐っこさからスポンサーの社長にもよく可愛がられていましたね。

さて、チーム編成ですが、前年限りで活動停止した東京アパッチの選手をたくさん獲得しました。よくジェッツの試合中継で解説してくれている板倉令奈もその中のひとりです。また、トライアウトから佐々木クリスを獲得してるんですよね。冗談交じりで「選手はイケメンを揃えました」と前社長が言ってましたが、確かにその通りでした(笑)

この年開幕ダッシュには成功したものの、チームはバラバラでした。外国籍選手を中心にしていくやり方がうまくハマらず、チームとコーチ陣との関係性もあまりよくなかった。千葉ジェッツ誕生のシーズンは、18勝34敗という結果に終わりました。

経営再建をすすめる中、私は2012年の2月にジェッツの社長に就任することとなります。最初の選手たちとの関わりというのは、選手に呼び出されて西船橋の居酒屋で愚痴を聞くというところからでした。チームのこと、バスケのこと、プライベートのこと……いろんな話をしましたね。

2012-2013シーズン bjリーグ所属最終年

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発足2年目のシーズンは、HCを冨山晋司に交代し、外国籍選手も全員入れ替え。いきなり編成を大きく変更しました。

この年強烈に印象に残っているのは、マーキン・チャンドラーでしたね。加入したときは半分引退したような状態だったんですが、ジェッツの歴史の中で最もシュートタッチが良い選手だったのではないかと未だに言われます。とにかくシュートを決めまくってくれました。

しかし、彼はとにかく気性が荒かった。相手選手の肘が当たり鼻骨を骨折したとき、めちゃくちゃに暴れまわって看板を壊したということもありました。スポンサー様をはじめとした関係各位にとにかく謝りましたね。

成績的には26勝26敗の五分で終わり、ギリギリでプレーオフ圏内入り。1年目に比べて可能性は見えたシーズンとなりました。

さて、この年はジェッツにとってbjリーグ所属の最終年となりました。次のシーズンからは新リーグであるNBLへ移籍することを、6月の時点で発表したのです。つまり、この年は1年間"裏切り者が全国行脚している"ような状態でした。

当時のジェッツは今ほど強くなかったのに、「あいつらだけには負けられない」という感じで敵対視され、メラメラ燃えて向かってこられてしまうという感じでした。

そんな四面楚歌の状況になるというのはわかっていましたが、それでもNBLに行くという決断をした以上は結果を出し、このメンバーでNBLを戦いたいと思っていました。選手たちも、活躍して次シーズンの契約を勝ち取りたいという強い気持ちで戦ってくれていたと感じます。

後にも先にも、このシーズンが私にとって一番難しいシーズンでした。

2013-2014シーズン NBLへの挑戦

この年はトヨタ自動車から小野龍猛、荒尾岳を獲得。さらに宮永雄太、上江田勇樹、佐藤託矢を補強しました。つまり、去年のあの苦しいシーズンを一緒に戦った選手を5人切らなければいけない! 情は捨て、勝つためにチーム編成を決断しました。

もちろん、当時はジェッツのファン・ブースターから相当叩かれました。去年あれだけ頑張ってくれた選手たちをなぜ切るんだ、と。当時熱心に応援してくれていて、このときを境に去ってしまった方もいます。
しかし、結果を出せなかったら、何のために苦しい思いをしてリーグ移籍するのかわからない。苦しいからこそ、断腸の思いで決断したのです。

HCもレジー・ゲーリーに交代。彼は前シーズン、横浜ビー・コルセアーズをbjリーグチャンピオンに導いています。これも勝つための決断でした。

それだけの決断を重ね、開幕4連勝という素晴らしい結果を出すことができました。最初の2連戦は西村文男が在籍していた日立サンロッカーズ東京(現・サンロッカーズ渋谷)で、次がアウェイのリンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)戦。この相手に4連勝というのはすごいことでしたし、全国紙でも大きく扱われました。天皇杯初優勝のときまで、メディアにここまで大きな扱いをされたことはなかったかもしれません。それくらいすごいことでした。

そして、その後悪夢の20連敗。その始まりとなったのが、東芝ブレイブサンダース神奈川(現・川崎ブレイブサンダース)戦でした。とにかくニック・ファジーカスのインパクトが凄まじかったです。彼に、1戦目は25点、2戦目は34点取られました。今でも当然すごい選手なんですが、当時はリーグのレベルが今よりも低く、相対的に今よりさらに恐ろしい選手でした。最終的なスコア以上に差を感じさせられましたね。

このリーグはヤバい、恐ろしい。相手チームにはこんな連中ばっかりなのか? これから何十年、ずっと勝てないんじゃないか?」とまで思いました。(もちろん実際は、ファジーカス選手のようなスーパーなプレイヤーなんてたくさんいるわけがないのですが)そこからジェッツは外国籍選手がどんどん入れ替わり、チームが成熟しないという悪循環に陥ることになります。

私がロッカールームに入って檄を飛ばしたのは、18連敗したころでした。私はバスケットボールの競技経験はありませんから、普段そんなことはしません。しかしこのときは、経営者として相当追い込まれていましたね。チームに"負け癖"のようなものがついていて、上位チームにも下位チームにも関係なく負け続けていくわけです。たまらなかった。

バスケは連動、連携の競技なので、それが噛み合っていないというのは選手がルーズに見えてしまう。もちろん1人1人は頑張っているんですが、選手たちに「お前ら、ちゃんとやれよ!」なんてことを言ったのは、後にも先にもこのとき1度だけです。

私からの激はあまり関係ないでしょうが、連敗は20で止まりました。そのときの記憶は全然ないですね。連敗が止まって嬉しい気持ちは、ないわけではなかったでしょうが、そのときの成績を見れば5勝20敗なわけですから。世間から「ほれ見ろ。ジェッツがNBLでやれるわけないだろう」というような声も上がっていましたし、個人としては変わらず大きなプレッシャーを感じていました。

このころのジェッツの代名詞のようなものになっている"打倒トヨタ"という言葉も、この年はトヨタ自動車アルバルク東京(現・アルバルク東京)相手に6戦6敗。惜しかったと言える試合もなく、ひどいときはダブルスコアのような状況でした。

とはいえ、20連敗を脱出してからは少しずつ勝てるようになってきました。その中で、このリーグで勝つためにはどうしたらいいか、どのポジションを補強するかとか、どう立ち振る舞うべきかというのがだんだんわかっていくわけです。

NBLでの初シーズンは、18勝36敗という成績。「20連敗がなければ勝ち越しだ」なんて考えたわけではないですが、次のシーズンは飛躍するぞという思いを持ち、オフシーズンに入ります。

2014-2015シーズン 初のシーズン勝ち越し

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この年は、私が初めて直接声をかけた選手が加入します。西村文男です。彼と対戦するたび、プレーに目を奪われていました。忍者みたいだなと(笑)

西船橋の小料理屋で会食し、これからのジェッツはこうしていく、こうなっていくんだと熱く語りましたね。「口説いた」というやつです。文男はアグレッシブなチームに可能性を感じ、加入を決めてくれました。ジェッツの"クラブとしての可能性"を感じて加入してくれた第一号選手でもあります。

ジェッツは優勝する、日本一になるというのを目標としてずっと掲げていますが、文男は中学時代に準優勝、高校時代も準優勝、東海大学時代も準優勝と、自分のことを「準優勝男」なんて言っていました。そんな経験もあって、ジェッツが日本一を目指すビジョンに強く共感してくれたのでしょう。

この年はゲーリーHCが2年目の指揮を執るということもあり、今までのジェッツとは違い、チームがしっかりと噛み合いました。ジャスティン・バーレル、リック・リカート、パリス・ホーンという外国人選手がハマり、西村文男がゲームをコントロールし、小野龍猛・荒尾岳がフィット。「ジェッツはイケる!」と私が初めて思ったのは、この年でした。

前年全敗だったトヨタに5戦3勝、東芝に5戦2勝とし、苦手意識も払拭。1年前にはこれから何十年も勝てないんじゃないか? と思っていた相手としっかり戦えるというのは、相当な自信になりました。結局このシーズンは34勝20敗と、ジェッツ発足以来初めてシーズン成績で勝ち越すことができたのです。

プレーオフでは破れてしまいましたが、"日本一"も夢ではない、頑張れば届くところにあるのだと感じ、NBL移籍の意味も表現できはじめていたところで、さらに激動の2015-2016シーズンが始まります。長くなりましたので続きは次のnoteで!

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