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音源配信を始めて思ったこと

2021年2月。立春も過ぎた春の日に大雪が降って、翌日は快晴。こういうところが春っぽいよなと思う。

友達と音声配信をはじめて1週間が経過した。Anchorというアプリで録音してアップしているので、まだPodcast上には番組がない…。「Podcast配信しています」と言いながら、Podcast上に番組が存在しない。そんな貴重な時間である。もうすぐしたらPodcast上に番組ができてしまう。

番組のコンセプトも決めずに、ノリではじめた。1回10分のぐだぐだしたおしゃべりの音源を、この1週間で25本の音源をアップした。1日3本上げている計算…。どういうこと?と自分でも思うけど、あまり深く考えていない。ただ一度止まると死んでしまうマグロのように、無心に録音して上げている。そのノリに付き合える友達も大概である。

声の配信は生まれて始めての経験だ。初体験はいつだってドキドキする。音源配信を始めるときに決めたことは継続することだった。最初から面白いものなど作れるわけもないし、世界は私に興味がない。世の中には素晴らしいPodcastが山程存在しているので、ほぼ自己満のための音源配信だ。私をPodcastの沼におとした樋口塾長が「継続しろ」といった言葉だけは覚えていた。編集とかの難しい技術はわからなかったので、ハードルを下げに下げて、続けるためだけに必要な要素を考えた。

①一人でやらない。②無理しない。③意味を求めない。

とりあえず3日坊主と1週間坊主は回避できた。聴いてくれた奇特な人たちからのレスポンスも有り難い。なによりノリで楽しんでくれる友達の存在の有り難みを改めて感じた。

私も相方も、初日の感想は「え…わたしの声、変じゃない?」だった。鏡をはじめてみた赤ん坊のようである。「え、だれ?」という反応。そしてお互いに「いや…こんなもんだよ」とツッコミを入れ合うこととなった。

そう、こんなもんである。私の声は田中敦子の声ではなく、相方の声はMISIAの声ではなかった。致し方ない。そんな魅力的な声だったら声で金を稼いでいる。

1週間やって予想外だったのは、音源配信に使っている時間が、頭か心かわからんけど、精神的ストレッチになっていることだった。日々考える仕事をしている中で真逆の時間なのだ。仕事では、企画して意図して恣意的に物事を考えて、成果物に繋げる仕事をしている。ポジティブにプロジェクトや人を動かす事を考え、そういうことにエネルギーと時間を使っている。それが嫌いではないけれど、「重箱の隅」を録音している時間は、本当に取り留める必要がないことばかりを考えて話している。

そのストレッチをやったからか、「情緒がおかしい」と感じはじめた。なんだか人様のPodcastの小さないい話しで涙がでたり、遠くの国で子どもが傷ついた話がものすごく悲しくなったり。不思議なことに相方の情緒もおかしいと言い出した。相方は、とある飼い猫が、子どもを毒蛇からかばって死んだニュースで泣いていた。二人とも涙もろくなっていた。なぜだろう…。音源配信のせいだろうか。二人で考えて、そして気づいてしまった…。月のものだった。ホルモンバランスに支配された情緒不安定だったのだ。

……そう、だいたい私達はこんなもんである。


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