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夜が明けた朝の電話

在学中はそうでもなかったんだけど、卒業して仲良くなった友達がいる。

卒業後に、理由は定かじゃないがなぜか仲良くなったSちゃん。彼女はあまり多くしゃべる方じゃないけれど、なんとなく「他人は他人なのだな」と思う感覚が似ていた。決してネガティブな意味ではない。親子であろうが、恋人であろうが、親友であろうが、自分とは別の人格をもつ人間。その距離感を互いに理解しているから一緒にいるとラクな相手だった。

Sちゃんがまだ独身だった頃、おそらく土曜日だったと思う。ふと私から電話をかけた。なぜ電話したのか、詳細も用件もわすれたが、朝だったことは覚えている。

電話先のSちゃんは、外出先のようだった。どこに居るの?と聞くと、駅だという。週末の朝から駅にいるというので、出かけるとこだった?と尋ねると、帰りなんだ、と答えた。

「死のうと思ってさ、でかけたんだけど、まだ生きてるっぽい…。」

彼女の言葉に驚いて、私はとにかく家に帰れそうなのかと、今から家に行っていいかと尋ねた。彼女は家には来ないでほしいと答えた。その日は家には行かなかったが、電話でなんとなく話しを聞いた。夜中、死のうとでかけたまま海に行って、なんとなく死なずに今電車にのって帰ってるところだと答えた。声は暗くも明るくもなかったと思う。淡々としていた。私はなにか必要なものはないかと聞いて、翌日会いに行った。

「なんであの時、あんたから電話きたのかなって思うよね」

「私もなんで電話したかわからん」

「あんたって、そういうとこあるよね。なんか妙なタイミングなことある」

「相性なんかね…」

結局、Sちゃんが死んでしまおうと思った明確な理由はわからなかった。ドラマや漫画では、自死の理由が明確な場合もあるけれど、ただ気が向いてふらりと散歩に出るように、この世界から消えてしまおうとすることもあるのだと知った。もう10年以上前のことだけど、生々しく自殺について考えたのはあれが初めてだったと思う。

話した内容はぼんやりとしか覚えていないのに、その日は晴れていて、太陽が燦々としていて、心地よかった。なんとなく…陽が登る、朝になるって、すごいんだな…と思った記憶がある。Sちゃんが豆を引いて淹れてくれたコーヒーはとても美味しかった。一旦でも、夜は明けたのだ。

Sちゃんは当時、鬱であったのだと分かるし、もう少し先の未来で、通院ししたり、それなりに自分との付き合い方を見つけながら今も生きているし、たまに遊ぶ。

これまで私の周りに自死を考えた友達は2人居て、年齢とか性別とか結婚とか関係なく、環境や要因が揃えば、どんな人も陥る可能性があるのだと思う。「危なっかしい」というのは実際にあって、ドジだとかおっちょこちょいという意味ではなく、あちら側に行ってしまいそうな時は、すごく希薄な空気になっていたように思う。地が足についていないような雰囲気…静かな絶望。

友達に生きてほしいと感じるし、それがエゴだと分かってる。わたしはギリギリ淵に立っていても、夜に駆けない。這いつくばって寝転んで夜空を見る。星の王子さまがどこかにいることを空想する。


▼踏切に入りそうな子を見かけたはなし


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