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いつでも「居場所」がある幸せ

第76号(2022年10月12日)
長野晋さんからバトンを受けとりました、横井仁美です。

現在はメーカーのバックオフィス部門での勤務、大学キャリアセンターでの学生支援、そしてフリーの研修講師としてパラレルワークを実践中です。
キャリアに関わる仕事を通じて、前職の先輩方と偶然にも繋がることができ、ご縁の不思議さとありがたさを実感しているところです。

さて、今回の投稿テーマである「現役」について考えを巡らせていたところ、我が家のテレビが不穏な動きを見せはじめ…。新婚時代に購入し子どもたちのゲームのお供として欠かせないテレビが、ついに12年の現役生活に幕を閉じました…。

今回は12年活躍した我が家のテレビについて、ではないですね。失礼しました。同じく今年「現役」を退いた、父親について書かせていただきます。

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父と私が育った町

私は岐阜県飛騨市(映画『君の名は』の聖地)で生まれました。
家は地域のインフラを支える会社を経営しており、両親と祖父母、弟二人の拡大家族で育ちました。

飛騨市を訪れた方はお分かりかと思いますが、とても小さな町なので地域の皆が顔見知りです。結婚式などの祝い事には“向こう三軒両隣”を招待する風習があるほど、良くも悪くもコミュニティが発展している地域です。この地で、家族と地域の方々の愛情をたっぷり受け健やかに成長してきました。

父の居場所

それでは、私の父について。父は母との結婚で婿養子となり、祖父が立ち上げた会社の跡を継ぎました。もともと父の実家は食品会社を営んでおり、しかも長男であったことから当時は結婚への反対もあったようです。

婿養子としての境遇、これまでとはまったく畑違いな仕事、しかも将来は経営者となることに大きなプレッシャーがあったと思われますが、そんな様子を感じさせない父だったと記憶しています。

休日になると、少年野球の審判に駆り出されたり、消防団の活動に勤しんだり、趣味のクレー射撃の仲間と練習に励んだり。とにかく家以外での居場所が多い父でした。
大人ですから、むしゃくしゃしたり落ち込んだり、感情の起伏があったと思います。でも自分の「居場所」で過ごすことで、気持ちのコントロールをしていたのかな、と今は考えます。

75歳、現役真っ只中!

今年、父は75歳。社長を息子に譲り「現役」を退きました。
昨春に最愛の妻を亡くし、そして収束がみえないコロナ禍で落ち込んだ様子でしたが、最近になってクレー射撃を再開したり、老人会に仲間入りをしたりと「居場所」で有意義な時間を過ごしているようです。

そんな父にならって、私も様々なコミュニティに参加をしてご縁を紡ぎ、「居場所」を作っていきたいと考えています。
皆さま、今後もどうぞよろしくお願いいたします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は、ライフシフトを実践中の松井文男さんにバトンを引き継ぎます。松井さん、よろしくお願いします!

※タイトルの写真は0歳の頃の私と父です。けっこうファンキーな父!

※毎年4月には、ユネスコ無形文化遺産に登録されている奇祭「古川祭」が開催されます。その祭の目玉「起し太鼓」では、数百人もの裸の男衆が自分たちが所属する組ごとに分かれ大太鼓により近づく名誉をかけて攻防戦を繰り広げます。
古川祭は通称「古川やんちゃ」とも言い、飛騨人の情熱・エネルギーを垣間見ることができます。

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#サードプレイス #現役 #シニア #飛騨

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