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23.1.6

 やっぱりこういう音楽に戻ってきています。好きだな〜。

 夜眠っているときにみる夢のBGMがこの曲だったときなど興奮しました。旅人が砂漠を越えてオアシスのある街に着くのですが、市場で買ったよくわからない果物をかじって歩いていたら、砂か土で作られた壁画や像が蜃気楼に揺らいだような歪みとともに動きおどりはじめる……という映像でした。よかった。過去三回くらいこの夢をみているので相当お気に入りみたいです。
 だから、…だからでいいのか?…なぜか「背景に音楽が鳴っている物語の次元」がどういう体感なのかは個人的に解ります。自分の動きも周囲も、音楽の速度に合わせた時間経過に変化するようです。だいたいの場合、夢の中でしか会えない知り合いが居るのですが、そのひとたちはこちら側に来たことはないのか、特に不思議がっていない様子でした。


 日常に紛れ込む非日常が好きです。非日常は日ごろからその辺にゴロゴロしていて、ここではそれを知覚しない鈍感で平和な飽和状態を日常と仮定義します。
 誰かにとっての日常は自分にとって非日常であり、その逆もきっと然りであり、たまたま交わることはあっても誰しもが最初から最後まで平行線の関係性を生きている(視点が異なる)んだなあと感じると、なんていうんですかね、なんかすごく良い気持ちになります。

 相互理解の努力や衝突、しがらみ、影響を与え合うこと。それぞれの非日常にぶつかり合い、反応し、誰も知らないところで新しいなにかが生まれること。まるで糸が絡み合っているかのようで、それを計画的に編むことを生産的あるいは有意義と呼ぶらしい。
 わたしは数え切れない糸の群れをほぐしきって最終的に一本一本ならべて気持ちいい(納得する)タイプのようです。つまり、たくさんの登場人物と話の筋が絡まり合い物語を形成するのではなく、その瓦解をもって世界の完成とします。不勉強ゆえこの主張に固有の名称があるかはわからない。

 あんなに練ったのに、あんなに複雑に展開したのに、といった事物も関係もすべて無に還ります。
 カタルシスを呼び起こしたいわけではない(だったらこんなネタバレ?はしない)のですが、じゃあ「どうせみんな無意味なんだ」的な、ひねくれた冷笑的な姿勢なのかと言われるとそれも違う。

 宇宙の始まりから終わりまでを辿る科学系のドキュメンタリー映像を観るときの心境かもしれません。物語世界の小さな宇宙にも、始まりがあり一応の終わり(静止状態)があります。箱庭の隆盛から衰退するまでを記録するような気持ち。
 無心で「そういうの」を観るのが好きそうなひと向けのお話を練りがちというか(偏見:記録という行為自体に快感を見出している者は得てして実験結果が成功か失敗かなどに興味はなさそうなものである)。
 もちろん、お話の展開や登場人物たちの状況を気にかけてもらえたり一喜一憂してもらえることもとても嬉しいです。むしろ良かった!楽しんでもらえているんだ!と安心します。

 で、「そういうの」を書こうとするとまったく現在の自分では力不足でして、ずっと試行は繰り返しているのですが、なんなら昔のほうが論文調の文章はうまい。

 だいぶ前置きが長くなりましたが、低下・悪化の一途をたどる語彙力や文章力をなんとかするため、歩いて図書館に通う計画を立てているというわけです。歩く=健康によい、図書館=頭の刺激になる一石二鳥。一冊の本も自分にとっては未知の非日常であります。
 途中で喫茶店に寄ったり買い食いしてもよいとする。本当は甘いものなんか控えなきゃいけないし、資格の取得のために気合いを入れて勉強しなくてはならないのですが、報酬をいくつも立てないとモチベーションを維持できません。
 頑張ります。
 でもとりあえず晴れた日に限定していいですか。脳内で雇用した鬼教官に許可を得るスタイル。

 しかし改めて自創作について考えるとどこか虚無主義を踏襲したような傾向ではある。
 どちらかというと明るい絶望に振り切れたキャラクターやシチュエーションを書いているときが楽しいです。絶望し現状を諦観したゆえに明るく振る舞うというのはまず自分の思考回路ではあり得ないので、いちばん遠い他者という感じがします。
 距離を感じるということはそこに存在を見つけているわけですから、この広大無辺な宇宙においては遠ければ遠いほど、寂しければ寂しいほど嬉しい発見なのですね。
 遠いとは? 近いとは? 考えているとだいたい半日くらい溶けています。絶対的な答えのない問いは難しいけれど楽しい。
 距離こそが相対関係の本質に近いのではと思うので、大切にしたいです。なんかカードゲームの構想を立てていた頃と同じことを言っている気がします。

 こんな感じで今年も好き勝手に創作のことをだらだら喋っていくつもりです。よろしくお願いします。
 抱負はいろいろありますがとりあえず一定の元気を保ちたいです。