還暦は、二度目のハタチ。
2024年7月 火星の小径と此岸に揺れる白い花
私のライフワークである本連載企画についてご紹介しています
#coin-scope 001(序章)
#coin-scope 002(続 序章)
母の最終講義~娘達との夏休み編
七月の連休を利用して、姉が再びやってきた。
三泊四日、今回は単身だ。父が亡くなり、九十過ぎの母が一人暮らしをするようになって、実家に来るのにもう理由は要らなくなった。嫁ぎ先の義父母はとうに亡く、三人の子も独立しており、自身の仕事の休みと旅費の算段さえつけば、これからはいつでも何度でも来ていい、いや、来た方がいい、そんな暗黙の了解が姉妹の間で自然にできた。
初日は、午後3時過ぎにタクシーで到着予定の姉を母と玄関で待ち、来た車に乗り込んだ。地元の陶芸イベントに繰り出そうと以前から決めていたのだ。
会場に着く。広いグラウンドに出展者のテントがびっしり並んでいる。母は会場地図をたよりに知り合いを訪ね、いくつか作品を買ってあげるのだと意気込んでいる。ここは、姉や私にとっては土地勘のないよその地だが、母にとっては30年住んでいる地元であるし、知り合いとの交流を今まで通り自力で達成したいだろうということで、集合時間と場所を決め、自由行動にした。
さて、どこから見て回ろう。広いのはいいが、蒸し暑く、日陰がない。私はテント巡りも早々に、人流の外側に移動して日傘を差し、ゆるり散歩に切り替えた。
人混みの中に母や姉が品定めしている姿を見つける。やっぱり自分に似ているなと思ったり、猿の群れの中に自分たち母子猿も混ぜてもらっているような気もしたりして、生命の営みの渦巻きの中にいる感覚になる。
時間より少し早く指定場所にやって来た母は、マスクをしていても知り合いに声をかけられたよと驚いていた。
帰りのタクシーを呼ぶ。
母との移動はタクシーが基本なので、動くことイコールお金がかかることを日頃から実感しているが、今日は三人なのでさすがに抵抗感はない。
タクシーは便利だ。が、基本的な道を知らない高齢ドライバーが増えていることに先行きの不安を感じる。なり手不足の業界事情を考えると、こんな田舎町でも、この先タクシーはどんどん値上がりしていくのだろう。
家に着いてクーラーをつけ、みんなで裸足になって涼む。
実家では今年初めてエアコンを設置したので、つけるたびに新鮮な感動がある。去年ほどの暑さはないが、それでも「ありがたいわぁ」と母が喜んでいるので何よりだ。
今回の滞在期間中、何か特別なことをする予定はなかったが、二日目はJRで街に出て買い物をしてどこかでお昼を食べようとか、三日目は天気が良ければセールのDMが送られて来ていた電器屋さんへ行きたいよとか、自然とスケジュールができてゆく。大掃除など家のことは姪っ子も来た前回に概ね済ませてあったので、今回はただただ純正の母娘三人で一緒に過ごす時間を満喫すれば良かった。
晩ごはんの支度は、母が板長として立ち、娘達は食器を出したり盛り付けたりを手伝う形で進行する。と言っても煮炊きするのはほぼ卒業ということで、基本的には切ればいいだけ、チンすればいいだけ、の作業内容だ。アシスタントの仕事は、ごはん茶碗にも箸にもギチギチに巻かれたラップをはずすところから始まる。
ごはんは冷凍してあるものだった。三人いるんだから普通に炊けば良かったのにと思ったが、おにぎり状にラップして冷凍してあるものをチンしてごはん茶碗に移すよう指示される。しかし二つしかない。おかあさんのは?と訊くと、自分でやるからいいと言う。
最後に食卓についた母。ごはん茶碗には、こんもりとした小さな山が二つ。あ、それ、仏壇のと言うと「二日分で一回分さ」と涼しい顔だ。
始末して小さく生きる、そんな母の最終講義が、ごはん茶碗の中にあった。
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