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娯楽は「やさしい」

仕事中はいつも音楽を流している。

基本的に気持ちがふさがっている状態からスタートなので、アップテンポの曲など、わかりやすく気分が上がりそうなものを好んでかけている。そこで、そういった曲をあつめたプレイリストをSpotifyでつくることにした。

リスト名は「ばいぶすぶちあげちゅーん」。なんて頭の悪そうなリストなんだ。余談だが、最近は頭が悪そうな言葉づかいにハマっている。

アニソンやら、昔好きだったロキノンやら、とりあえず良さそうな曲をバンバン追加しまくった。100曲を超えたところで追加を止め、シャッフル再生していたら、ふとこの曲が流れてきた。



有名な曲だし、もともと私も知ってた曲だ。もちろん歌詞も知っている。あ〜これ前にライブで観たな〜と思いつつ、BGMとしてなんとなく聴きながら作業を続けていると、唐突にサビの歌詞が耳に入ってきた。


「あきらめないでどんな時も 君なら出来るんだどんなことも」


それまでのAメロ、Bメロはほとんど聴いていなかったというのに、この歌詞だけがやけに鮮明に、耳にズバーンと入ってきたのだ。

「おや!?」と思ったとたん、急に肺のあたりがぎゅっとなって、鼻の奥が熱くなり、よくわからないけど……ボロボロと泣いてしまった。慌ててティッシュを押さえつけたが、涙も鼻水もとまらない。なぜだ。アラサーが1人でPCの前でズビズビ泣いているなんて、まあみっともない。ちょうど横にあった鏡にうつった自分の顔がひどすぎて引いた。

なぜこんなことが起きたのか。ちょうどそのとき、私には余裕がなかった。これまでにないトラブルを複数抱えたまま色々なプロジェクトを同時進行させており、なかなかのストレスを抱えていた。めまいと頭痛が止まらなくて病院にいったら、ストレスが原因だと言われたりもした。しかし、もっともつらいのは、ストレスを抱えていることそれ自体ではなく、それを身近な誰かに相談できないことだ。ただただ一方的に、私の愚痴や弱音を延々と聞いてくれる人なんていないし、いたとしても私にはそれができない。そんな人を探そうとすら思っていなかった。

でも、誰かにあたたかい言葉をかけてほしいと、心のどこかでずっと思っていた。うまく息が吸えないことや、夜になると過去のトラウマが背後から襲いかかってくることや、背負っているものをぜんぶ捨てて楽になりたいことなどを、誰かに聞いてほしかったし、私がしんどいことを認めてほしかった。

……という、めちゃくちゃ心が弱っているタイミングでこの曲を聴いてしまい、それはもうとんでもなく刺さってしまったんだと思う。サビの歌詞だけが異様にはっきりと聴こえたのも、きっと私が求めていた言葉だったからなのだろう。

昔はむしろこういう曲は嫌いだった。わかりやすい励ましの言葉なんてなんの役にも立たないと思っていた。まさか自分がサンボマスターを聴いて泣く日がくるなんて、正直ちょっと信じられない。10代の頃の自分が聞いたらヘドが出るような話だ。これが歳をとるということなのだろうか。


◇◇◇


音楽だけでなく、漫画やアニメ、小説、映画……それらのコンテンツたちを、ここではあえて「娯楽」と呼んでみる。

娯楽は暇を持て余した人間がつくりだした「無駄」の1つだと思う。娯楽なんて別になくても生きていける。娯楽は私たちになんの栄養も与えてくれない。

私の仕事はゆるいキャラクターの絵を描くことだが、それだって別に生活必需品ではない。私の絵は、怪我を治してあげられないし、おいしい水を与えてあげられないし、大きな台風を止めたりもできない。生きるうえで、あってもいいけど、本当はなくてもいいものだ。日々を生きていると、そのことを本当に自覚する。

でも、そんな娯楽こそが、戦っているすべての人に無条件に寄り添ってくれるものなのだ。この体験をとおして、そのことをものすごく痛感した。

娯楽であるからこそ、人の心にすっと入っていくことができる。娯楽であるがゆえに、受け取る側も心を開くことができる。

これはとても重要な視点だと改めて思う。どこかの学者が提唱している小難しい理論も、娯楽の上に乗っかっていれば、なんとなく理解できそうな気がする。

また、伝えたいメッセージがあったとして、それをただただ言葉として発信したとしても、実はあまり届かなかったりする。でも、それを歌にしたり、絵にしたりすることで、思いもよらぬところまで飛んでいったりするのだ。当人の気持ちがぎゅうぎゅうに詰め込まれて、ずっしりとしていたメッセージが、メロディに乗ったり色がついたりすることで、とたんにふわっと軽くなり、そのまま風に乗って空に放たれていくようなイメージだ。

要するに、娯楽化することで、わかりやすくなるのだと思う。そのおかげで多くの人のところへ届く。「わかりやすさ」は「やさしさ」だ。そのやさしさは、戦っている人のささくれた心を撫でてくれる。娯楽の根本はやさしさなのかもしれない。

私の涙腺をストレートに突いてきた「あきらめないでどんな時も 君なら出来るんだどんなことも」という言葉だって、どこぞのオシャレなカフェで対面で誰かに言われたとしても、私は張り付いた愛想笑いと共に「そっすねー」と返しながら冷めたコーヒーをすするだけで、心は微動だにしなかったかもしれない。あのメロディに乗って、あの声に乗って、そしてBGMとして聴いていたからこそ、油断していた私の中にスムーズに流れ込んできたのだろう。それはまるで、ひとりぼっちの真っ暗闇に、ふと、星が落ちてきたような感覚だった。


◇◇◇


娯楽の存在意義は大きい。どんなときでも夢を見せてくれるのが娯楽。1人ぼっちの人でも、みんなと対等に楽しめるのが娯楽。受け手側を構えさせず、メッセージを飛ばしてくれるのが娯楽。もちろん、作品によっては例外もある。 でも、娯楽ってなんとなくマイナスイメージのついている言葉だと思っていたのは、私の勘違いだった。

私もいちおう絵描きの端くれ、娯楽を生み出す者の端くれとして、このことを忘れずにいようと思った。自分のやっていることなどいったい何の役に立つんだと、頭を抱えてしまうことも多いのだが、ちゃんと誰かの役に立つ可能性を持っていたということに、すこし安心した。

荒野と化していた私の心にお水をくれたサンボマスター、ありがとう。機会をくれたSpotifyもありがとう。大切なことに気付けたような気がする。今日のことを思い出しながら、私もどうにかこうにか腐らずに、いや腐ったとしてもなんとか復活して、ゾンビのようになりながらも、制作を続けてこうと思った。


ゾンビ系イラストレーター。新しいかもしれない。