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将来の夢の話をしようか

1.人生最初である保育園時代の私の将来の夢は「模型屋さん」だった。

だから私の3歳の誕生日カードの将来の夢の欄には「模型屋さん」と丁寧な字で書かれ、横には小さなヨットのイラストがある。

当時はとにかくミニチュアというものが好きで精巧に作られたあの船や飛行機を死ぬほど組み立ててみたいと思っていた。模型に囲まれて、自分も模型を作るし、お客さんにも模型を買ってもらう。本当にささやかな夢だった。

まぁ、結局長続きしないで違うものに変わったのだがな。

2.次に目指したのは「飴細工職人」

あの美しい鶴の羽や、金魚の尾をハサミを使って形作っていく。その様に当時の私は心奪われたんだろうなぁ。

似たような理由で次は「和菓子職人」に憧れる。

これはかなり長続きした。小学生から中学1年生くらいまでは考えていたのではないだろうか。当時和風総本家という番組を見ていて、日本の職人達の手作業を見て「自分もああゆう風になりたい。」と思っていたのかもしれない。

英語の時間で「What’s your dream?」に対して「Confectioner(菓子職人)」と答えていた。

余談だが、幼少期の頃はあまり親と話をするという家庭ではなかったので、当時の私にとってTVは百科事典のようなものであった。和風総本家には特にハマり毎週録画は欠かさなかった。

3.話は戻り中学二年生の終わり頃。きっかけは分からないが、この辺りで父親と同じ「建築士」という職業に興味を持ち始める。

今でこそ分かることだが、当時の私にとっては調べなくてもなり方が大体分かる、両親の反応も良い建築士という職業は大変都合が良かったのだ。

建築士を目指す自分に少し酔っていたのかもしれない。苦笑。


4.さて、話は終盤(?) 建築士からアニメーターに心変わりするまでの話になる

どうしてアニメーターなのか、話せば本当に本当に長くなる。

〇そもそもなぜ絵を描き始めたのか?

中学生の頃、本当に絵の上手いBUMP大好きな吹奏楽部の知り合いがいた。(わかる人には分かる) 知り合いが描いてる様子を目の前で見ていて私も「出来るようになりたい」と思い試しにスプラトゥーンのイカちゃんを描いたりするようになった。下手すぎて見せられる代物ではなかったが。

それが私がイラストを描き始めたきっかけだったりする。

塾の授業が始まる少し手前の時間に本屋に立ち寄ってはイラストの描き方の本を読み漁り、塾で予習済みの範囲の授業を受けている時はノートの隅に落書きをするようになった。

神奈総に入って、自分のやってみたいことをとことんやった。イラスト部、放送部、びーどろ、卒送装飾…。塾もバイトもしていなかったから多少の掛け持ちも許容範囲内だった。

思い切ってイラスト部に入って、Twitterを始めて、勉強と同じかそれ以上に落書きとかの絵を描いていたと思う。

徐々に思い通りの絵が描けるようになり、絵はちゃんと勉強して、練習すれば誰でも上手くなれるという事を身をもって知る。これが2年次の秋。

イラストという世界に足を踏み入れてから、多くの人が自分なりの表現を自由にやって輝いているのを目の当たりにしてきた。そして、本当に自分のなりたいものって何だろうと考え始めていた。自分が今まで一番影響を受けてきたものって何だろう、と。

私にとっての答えは、アニメだった。

今までアニメからは多くの事を学んだ。そして、受験期の一番辛い時期でも心の支えになったのもまた、アニメだった。

綺麗事かもしれないが、私は自分もアニメで人を感動させたい。元気づけたい。そう思い始めた。

その結果、行き着いた先がアニメーターという職業だった。


ここからがモヤモヤとした短いようで長い迷いの時期の始まり。表向きには建築士を目指していたが、頭の隅には絵を描く仕事、例えばアニメーターとか、アニメ関係の職業に付きたいと思う自分がいた。

この頃は建築士の資格を目指せる進路について調べるのと同時に、イラストの描き方やアニメーターの職業についてもネットを頼りに調べてはいた。

そして3年次になってからの面談で思い切って「アニメーターを目指してみたい」と母親と担任の前で言ってみた。私にとっては初めて自分の本当の気持ちを伝えたに近い。

結果を先に言おう。両者から建築士の方にしろと遠回しに諭されて終わりだった。

まぁ、無理もない。母親は専業主婦。担任は公務員。アニメーターという職業には無縁な上に「絵がかなり上手くないとなれない」「将来的な収入が低い」という社会的な偏見が汚点として見なされたのだ。

「私の知り合いで目指していた人がいたけど、結局アニメ関係の他の職業に着いてたよ。」

「部活の部誌や趣味の一環で描いてるのは知ってるけどそんなのでなれる訳ない。」


この長々とした文章を読んでいる人がいるのか分からないが、私がこの後に救われた言葉を残しておこうと思う。

「その職業にも着いてない人が言った言葉なんて気にする必要はない。現場にいる人に聞いたほうがよっぽど良い。」

「諦めきれるのなら、そんなもの夢ではない。」

前者はYouTubeのとあるイラストレーターさんの言葉。後者は宇宙兄弟に出てくる南波日々人の言葉だ。


それはさておき、面談後のセンター試験出願が終わった頃まで、私は一旦アニメーターは諦めて建築士になるべく理系の大学を目指す事になる。

出願の日程、調査書の有無、試験日、合格発表日を担任が把握するための緑の紙があったのだが、最後の最後で私は建築学科という文字が並ぶ中に一つだけアニメーション学科を紛れ込ませてしまった。どうしても諦め切れなかったのだ。

その後に遅くなり過ぎてしまったが、父親と面と向かって話をした。実は建築士以上にやりたいものがあると。それが高3の春から考えていた事であると。そして、もし出願したアニメーション学科に受かったらそこに行かせて欲しいと。

「いいよ。やってごらん。お前の人生だ。」

父親はこう言ってくれた。

それを聞くと唇が震えだし、声はひくつき、私は泣いていた。今まで親の顔色を伺って期待に応えようと我慢していた自分が心底小さく見えた瞬間だった。




その後の結果はもう語るまでもないだろう。

今の私の将来の夢は「アニメーター」になること。もしかしたら、10年後には全く別のもの変わっているかもしれない。

将来の夢という名の進路に悩んだ人参の、取るに足らない話である。