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子曰く、之を道くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を導くに德を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格し。

(現代語訳)
孔子先生は言われた。「国民を導くために法律や刑罰のみを用いて治めていこうとすると、国民は、刑罰さえ免れればよいと考えるようになる。そして、そのことに廉恥心を持たなくなる。国民をよい方向に導くためには、社会の中に仁義道徳を広める必要がある。そして、礼儀を教えることで、人々は廉恥心を持ち正しい方向に進むようになる」。

(思いや気づき)
「『令集解』という九世紀中頃に編纂された養老令の注釈書があります。養老律令の『令』の部分だけを記した書です。全部で五十巻あり、そのうち三十六巻が現存しています。律令というのは、刑法である『律』と、民法である『令』を合わせた言葉です。わが国では古代にこうした法制度が研究され、実際につくられ、通用されていながら、ついに明治時代に入るまで、刑法を意味する『律』が完成することはありませんでした。その理由は主に二つあります。一つは民度、もう一つは責任性の問題です。民度というのは、人々の生活意識のことを言います。盗まない、姦淫しないなど、いちいち法律を作らなくても、そのようなことをする人がいなかったなら、国が刑法をつくる必要が無かった。そうは言っても、実際には程度の差こそあれ、人を騙したり、物を盗んだり、殺したり、暴力をふるったりする人は、皆無ではなかったはずです。実際に刑罰に処せられた人もいます。もう一つの理由は責任性です。例えばAがBを殺すという事件が起きたとします。刑法が裁くのは、加害者であるAです。けれど、それだけでよいのでしょうか。
たとえば以前、川崎市で中一児童殺害事件がありました。もし同じような事件が江戸時代に起きたなら、川崎の町奉行は切腹です。自ら腹を斬ればよし、お家は安泰となり、息子さんが跡を継いで次の奉行となります。けれど、自ら腹を斬らず、犯人を逮捕しなければならないからと、もたもたと切腹を引き伸ばしていたら、江戸表から使いがやってきて、『上意でござる。腹を召されよ』となります。この場合は、お上の手を煩わせたという意味で、奉行の家はお取りつぶし。妻子も両親も、その日から路頭に迷うことになります。」(小名木善行氏著:庶民の日本史 より一部抜粋)
つまり何を伝えたいかというと、明治時代以前には刑法というものが定まらなかったということです。
それは、日本国民の民度の高さと責任性という制度が皆に認識されており、他者に迷惑をかけられないという思いがあったからでしょう。
私自身まずは、仁義道徳を修め、社会に広める活動が必要だと思いました。

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