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心や中身が大事で、礼儀はそれを仕上げるものである

(書き下し文)
子夏(しか)問(と)いて曰(いわ)く、巧(こう)笑(しょう)倩(せん)たり、美(び)目(もく)盼(はん)たり、素(そ)以(もっ)て絢(あや)を為(な)すとは、何(なん)の謂(いい)ぞや。子(し)曰(いわ)く、絵(え)の事(こと)は素(そ)を後(のち)にす。曰(いわ)く、礼(れい)は後(のち)なるか。子(し)曰(いわ)く、予(われ)を起(おこ)す者(もの)は商(しょう)なり。始(はじ)めて与(とも)に詩(し)を言(い)う可(べ)きのみ。

(現代語訳)
子夏(しか)が「詩に『笑い上(じょう)手(ず)で愛(あい)嬌(きょう)えくぼ、美しい目がパッチリと、おしろいつけてさてもあでやか。』とあるのは、何の意味でござりますか」とおたずねした。孔子様が「絵でいえば、まず彩色(さいしき)をして最後にごふんで仕上げをするようなものじゃ。」と言われた。すると子夏が「なるほど礼は仕上げでござりますな」と言ったので孔子様が感心しておっしゃるよう、「わしも教えられる。商よ、お前は詩の話せる男かな。」

(思いや気づき)
礼の根本は、心であり、礼儀はそれを仕上げるものである。
つまり、礼儀作法において、心が籠っていなければ、何の意味も持たない。
どんな些細なことでも、一事が万事の精神で臨んでゆきたいものである。
そうした行動の積み重ねにより、人格は形成されてゆき、関わる人間や環境や行動なども変容してゆくものである。ありがとう。

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