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やってはいけないことはいけないのだ

(書き下し文)
季氏(きし)、泰山(たいざん)に旅(りょ)す。子(し)、冉有(ぜんゆう)に謂(い)いて曰(いわ)く、女(なんじ)救(すく)うこと能(あた)わざるか。対(こた)えて曰(いわ)く、能(あた)わず。子(し)曰(いわ)く、嗚呼(ああ)、曾(すなわ)ち泰山(たいざん)を林放(りんぽう)に如(し)かずと謂(おも)えるか。

(現代語訳)
魯の権力者で大夫の地位にある李氏が、君主が行うとされている泰山の神の祭りを行おうとした。孔子先生は、李氏の家老をしていた弟子の冉有に、「止められないのか」と問うた。冉有は、「もはや無理です」と答えた。
すると孔子先生は次のように嘆いた。「弟子の林放でさえ礼の根本をたずね、考えているのに、泰山の神がこの非礼をわからないわけがないだろう」。

(思いや学び)
やってはいけないけど、皆がしているから、私もやっていいだろうと、無意識的にそうやって考えてしまうことも過去にはあったが、判断軸は自分が持たなくては意味がない。
かっこいい自分になるためには、かっこいい自分が選ぶ選択肢を採用しなくてはいけない。
今一度、気を引き締めて、身近にある事物から、なにがよいものでいけないものかを改めて判断する癖付けをしていこうと思う。

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