日記(日経新聞を読まない?)

先日「日本経済新聞電子版」がこんな記事をポストとして投稿した。
これはいわゆる「飛ばし」記事で、確定していない情報を記事にしてしまっているのだ。
ここで、改めて日本経済新聞の存在を考えてみることにした。

なぜおすすめされるのか

就活するとき、就職して偉い人が話をするとき、よく「日本経済新聞を読みましょう」と名指しで言われたりするものだ。私は結局逆張りで読まなかった(この姿勢自体は、よくない)ものの、「なぜ日経にこだわるのだろう」と、漠然と感じていた。

普通に日経以外の新聞を知らないのかもしれない

もし就活とかで日経気になるなあと思ったら、興味が出た時点でまずは購読してみればよいのだが、他紙と比較した際の強みを調べるとよいだろう。(薄い)ネット記事だと結局差別化できてるの?と思ったり、あるいは一方的な情報しか載ってないかもしれない。

IRと、ニンテンドーダイレクト

かつて任天堂の岩田社長は、決算説明会で以下のように述べている。

当社の情報発信のあり方について、今、任天堂が考えていることをお伝えしておきたいということです。
私が、E3やニンテンドーカンファレンスなどの発表機会に加えて、決算説明時にプレゼンテーションを行い、それをその日の夜までにホームページを通じて動画とテキストで発信し、少し遅れて質疑応答をテキストで掲載するようになってかなりの時間が経ちます。

2011年10月28日(金)第2四半期(中間)決算説明会
任天堂株式会社 社長 岩田聡 講演内容全文

しかし、その一方で、投資家のみなさまが聞きたいと思っておられる情報と、私たちの製品のお客様、特にゲームファンのみなさんが聞きたいと思っておられる情報には、重なりはあるものの、食い違いがあることも同時に感じていました
同時に、Twitterなどに代表されるソーシャルメディアの普及により、情報の伝わり方と速度が大きく変わり、この場での発言が思いもよらない歪んだ形で広まってしまうことも何度か経験しました。

同上

この結果をふまえて、私は、インターネットで直接多くのお客様にメッセージをお伝えできる時代が来ていて、その体験がソーシャルメディアを通じて直接ご覧にならなかった方々にも広がっていく可能性があること、そして、以前から考えていたとおり、「投資家のみなさまへの情報発信」と「お客様への製品に関する情報発信」は明確に分けるべきではないか、ということを確信するようになりました。
その結果生まれたのが、ちょうど1週間前に行った、Nintendo Directです。

同上

SNSが発達しつつあった当時から、情報発信の対象を想定した切り分けを行うようにしたのだった。
これは先述の飛ばし記事やリークへの意識も十二分にあってのことだろう。
なお、この2010年代前半からさらにSNSが発展して消費者側の発言権や情報収集能力が上がっていったのがどこまで想定していたのかは未知数ではある(株主総会の「スプラボーイ」案件など)。

けっきょく完璧で公正な媒体など存在しないし、むしろ日本経済新聞ってこんなことしてるんだ?!と勧められた割にはと驚きも抱くのだ。デスクが喋り出すのってゲンダイだけじゃないのかもしれないし、ネット記事なんかでは眉唾物な記事はいくらでも出てくる。

併読・新聞購読の是非

さて、いざ新聞を購読してみましょうとなると、新聞ふたつは欲しくなる。上記みたいなこともあって、ひとつだと信用ならんからだ。とはいえふたつ以上読むにはそれなりに時間も必要になるし、日々読み進めるのはきっと無理が来るだろう。
なので、私はひとつも読めない、という位置に落ち着いてしまっている。これもこれで困ったものだ。
ツイッターでフォローとかリストに入れておけば、見出しだけはそれぞれ見せてくれるので、とりあえずそれで対応はしている。ただ、深みは出ないのがネックだ。

ひとつでは多すぎる

「ひとつでは多すぎる」。外山滋比古ものを読んでいるとどこかしらで出会うフレーズだ。『思考の整理学』だと、Ⅱ章「カクテル」にある。

論文を書こうとしている学生に言うことにしている。
「テーマはひとつでは多すぎる。すくなくてとも、二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい」。
(中略)
ひとつだけだと、見つめたナベのようになる。これがうまく行かないと、あとがない。こだわりができる。妙に力む。頭の働きものびのびしない。ところが、もし、これがいけなくとも、代りがあるさ、と思っていると、気が楽だ。テーマ同士を競争させる。いちばん伸びそうなものにする。さて、どれがいいか、そんな風に考えると、テーマの方から近づいてくる。「ひとつだけでは、多すぎる」のである。

Ⅱ「カクテル」

ここでは、アウトプットのテーマについての紹介だが、インプットについても同様で、情報源をひとつに委ねるリスクを感じ取れることだろう。

貴重な情報源として

栃木の地方紙は下野(しもつけ)新聞といって、地方密着もしつつ外界のこともバランスよく報じられている。喫茶店に入ったときはマストで読むようにはしている。
その中で「おくやみ欄」がとても大きいのも地方紙らしさがある。
こうした詳細な情報は日本経済新聞に求めることはできない(ある程度は掲載されるだろうけど)。逆に日本経済新聞にしか無い情報もあるのだろう(本当になんだろうね?)。必要な情報は何か?と改めて考えてからメディアを選ぶことが必要だろう。

総じて、新聞って人間が作ってるわけで、完全に公平公正な情報しか出さないよね!とかいう幻想…というか期待をさっさと捨てて、情報を得る側が選りすぐりをしなければいけない時代なのだ。
だからこそサロンとか宗教も情報共有のための拠り所として選ばれてしまうのだろうが、やはりそこでも「ひとつでは多すぎる」の考えを失わずに活動しなければならないのだ。


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