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Gallopエッセー大賞授賞【前編】

自己紹介のようなものはひとつ前の投稿にてさせていただいた次第でございますが、今回は大賞の授賞を受けて熱が覚めないうちにつらつらと筆を走らせています。最初にお断りさせていただきますが、おそらく以下の文章には他者に向けた生産性も、まとまりもありません。今、思い出せる限りにここに至るまでの紆余曲折を、衰えつつある私の脳みそに代わりに記録しておくだけの文章です。
ですので、内容に何の期待ももたず、ただただ時間を無駄にしたいという稀有な方のみ、おつき合いください。

コロナで自粛期間中に芸人がこぞってnoteを始めた。一部の芸人が以前から利用していたのは知っていたが、劇場公演の自粛を機に、芸人がいかに暇になったかが世間様にも伝わるくらいにnote芸人なるものが爆発的に増えた。芸人とは良く言えばクリエイターである。まぁものすごく良く言えばではあるが。悲しいかな生み出すものが圧倒的に評価されることが少ないというのが現実であり、生み出したもののほとんどが二束三文どころか誰の目にも止まることなく無に帰す。それでも何か生み出さなければいけない。そんな非効率で愚かで、それでいて愛すべき同志達がnoteというものに居場所をみつけたのだろう。
例にもれず私もその一員になろうとしたのだが、持ち前の消極性と、流行りに乗るのはなんかダサいという、この業界にいる上で即刻に捨てさるべき悪癖から着手するのが完全に遅れた。そうこうしてる間に、note内における芸人の一時の盛り上がりは過ぎさり、私は今更感いっぱいのタイミングでの参戦と相成ったわけだが、気分としては「さぁて、真打ちのおでましおでまし」といったところであった。しかし、そのころには芸人による投稿もかなりの数だ。本格的に参戦する前に、せっかくだから親愛なる同志達がどれくらいの物を書いてるのか目を通しておこう。そんな軽い気持ちでリサーチをすることにした。

そこで私の道は一旦閉ざされることとなる。

ちらっと覗いた芸人の書き物が揃いも揃っておもしろすぎたのだ。お世辞なしに私が目を通した芸人の文章はみんなおもしろかった。忖度などはない。しかし、その中でも、個人的に「頭の中どうなってんだよ(いい意味で)」と思うものがあり、先輩にはなるがバイク川崎バイク(BKB)さん、あわよくばのファビアンさんをはじめ、後輩のサンシャイン坂田氏、ゆにばーす川瀬氏、オズワルドの伊藤氏等の書く文章はテイストは多種多様だが、どれもが秀逸で震えるほどに読みごたえのあるものだった(興味を持った方は一度覗いてごらんなさい。あなた達、そっちで飯食えるよって思うから)。なんてことしてくれるんだ。先輩が面白いものを書いているというのはまだ何とか飲み込める(それでも苦汁には違いない)が、後輩、それも芸人としての実績でもはるかに先をいく後輩にまでこんなものを書かれたら、後出しで参戦する私はどんなものを書けば世間様に認められるのだ。無理。無理だ。勝てぬ。戦えぬ。今思えば見切りをつけるスピードだけは自分自身を誉めてやりたい。意気揚々と参加するつもりだったが、負け戦とわかっていて始める通りはない。noteの未来はあなた達に託しました。さようなら。
私はアプリをインストールして1時間もしないうちに尻尾を巻いて退散した。

となると、どうしたもんか。敵前逃亡ならぬ同業者前逃亡した私だが、何か書きたいという無駄にクリエイティブな欲望の火だけは消すことができずにいた。そして悶々と過ごす日々の中で毎週購読している競馬誌Gallopの誌面で『エッセー大賞』の文字をみつけたのだった。そのとき私にはモノクロのページは色鮮やかなカラーにみえた。…みたいなことは残念ながらない。そんな奴がいたら病気だし、頭の中は綺麗なお花だらけだろう。ただ、白黒の文字が少し浮き出てたような気はする。ほんの少し。乱視のせいかもしれないが。
なにはともあれ、これだ!と思った。これしかない!と思った。そして、え?これしかないの?とも思った。が、すぐに気を取り直して考えた。フリースタイルの文章の殴りあいからは逃げた私だが、こと競馬がテーマのバトルフィールドならなんとかなる。というか、ここで勝負できなきゃどこでも無理だ。だって元ジョッキーよ。見習いだったけどさ。いっぱい死にかけたけどさ。そもそもそんな経歴持ってるやついないのよ。ここでならアドバンテージはもりもりである。

最初はオーストラリアの競馬学校時代の思い出、というか当時の笑い話を書いてみた。あの異国の地にいた一年は振り返ってみれば地獄を煮詰めたような時間だったが、客観的にみれば笑い話、というか笑うしかない出来事ばかりだったので、エピソードに困ることはなかった。そのうちの記憶が比較的鮮明な一つをピックアップし、書きなぐること約3時間。原稿用紙10枚をもって完成した私自身初めてとなる書き物に「ふむ。我ながらなかなかおもしろい」的なことを思ったのを覚えている。さらに「なんだ意外と簡単なもんだ。これでなんとかなるだろう。20万円か。何に使おう。親にいくらか渡した方がいいだろうな。10万円?…そんなにあげるもんか?じゃあ5万円?でも二人だから3万ずつで6万円?…うーん。」そんな心配をしていたのが応募締切の1週間前のことである。

そこから郵送の手続きが億劫になり、書いた原稿用紙は雑に机の隅に放置された。時は流れ、あっという間に締切前日になり「じゃあ未来の大賞作を郵送するか」と、くたびれた処女作を横目に私は重い腰をあげた。そのタイミングで「そういや過去の受賞作ってどんな感じなんだろう?」という考えが遅まきながら頭によぎった。
過去に購入したギャロップを引っ張りだし、これまでの受賞作に目を通すことにした。そして、その場で感じたことは前述した芸人達のnoteを読んだときと同じものだった。

あ、ダメだ。勝てない。

え?このレベルじゃないと勝負にならんの?ていうか、エッセーってこんな風に書くんだ。ふーん。そうなると自分の書いたこれはなんだ?あぁ、あれだ。ありし日のmixiにありふれてた自己満足で彩られた自分語りの日記だ。

なしなし!一旦なし!

そんな感じで締切前日にしてスタート地点に私は舞い戻ったのだった。

さて、時間はまだ24時間ある。過去の受賞作の傾向としては情緒たっぷりでどこか感動を与えるものか、ただひたすらに文章が上手でストーリーの流れが美しいもの。もしくはその両方を兼ね揃えたものだ。それじゃあどうしよう?とりあえず、ベタだが初めて競走馬に乗ったときの話を適当に感動できる感じに仕立てて書くか。そんな残念な思考で原稿用紙に向かうこと8時間。出来上がったものに目を通して絶望した。ひくほどおもしろくなかった。それはもうおもしろくなかった。10枚の原稿用紙の中に「私は風になったのだ」的な文言が5、6回使われている。なんやそれ。なるかいな。競走馬に乗ってそんなん思ったことただの1回もないから。「はや!こわ!止まらん!死ぬ!」毎回そう思ってたのよ、私。

無情にも時間は過ぎる。あと半日後の朝10時までに家の前のポストに投函しないと必着の期限までに編集部に届かない。こうなってくると家の前にポストがあるというのはありがたい。しかし、完全に追い込まれた。何書けばいいんだよ。ちくしょう。もういいや。私は半ばやけくそで、そのとき比較的筆がのりそうなテーマを主題に置き、プロットだけ殴り書きでメモして、ほとんどぶっつけで筆を走らせた。深夜のテンションで面白いかどうかの判別はつかなくなっていたが、今までのものより熱は間違いなくこもっていた。ただ、熱がこもりすぎた余り、時間が足りなくなった。最後の締め1ページをまとめきれずタイムアップとなり、泣く泣く強引に話にオチをつけて文章を締め、封筒にぶちこみ、念のため規定より多めに切手を貼りつけポスト投函した。その後、ちゃんと回収されるのか不安で自宅の窓から外のポストを眺めていたが、一時間遅れで回収にやってきた郵便局の車に「そんな遅れてくるなら最後までちゃんと書けたやん」と窓越しに恨み言をつぶやいて眠りについた。

思いの他、長くなってしまったので一旦ここで区切らせていただきたい。私が大賞をとれたのか、それともとれなかったのか?どっちか知りたい!という国語力、もしくは記憶力が残念な方は【後編】をご覧ください。

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