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帝王切開、その後

前回はこちら…

子が産まれ運ばれていき、帝王切開の手術も終わった。子はそのままNICUに行き、翌日まで会えないとのことであった。

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麻酔が徐々に切れ始める。
私の背中には鎮痛剤がそのまま投与できようになっていて、手元にボタンがあり、自分のタイミングで投与できるようになっていた。
看護師さんからは辛くなったら、いつでもそのボタンを押すように言われていた。どんなに押しても、必要量のみしか投与されないよう調整されるよう設定されるらしい。

夕方には面会にきていた家族が帰った。私は少し足が動かせるようになったが、足もお尻も持ち上げられない。寝返りはできない。

「私も母になったのか」

子にも会えてないけど、全く身体動かせないまま、感慨深く思った。
そして、急に意気込みはじめた。
早速、頑張りたい気持ちは微妙な方向に進み始める…


「母になった最初の試練だ。麻酔が切れるけど、痛みを我慢しよう」


今からすると、なぜそんな無駄な頑張りを思いついたのか分からない。
なのに、手元の鎮痛剤のボタンを押したくなる気持ちを極力我慢することにした。

「とにかく我慢だ、頑張れ私」

夜を迎え、まだそこまでしんどくなかったが、消灯後、とんでもなく身体中がしんどくなりはじめた。

「身体が痛い。身体の向きを変えたい。寝返りがしたい。」

そこからは寝返りがしたくてしたくて仕方なかった。あれだけ鎮痛剤を我慢すると意気込んでいたはずが、手元のボタンをたくさん押した。
全く効かない…

そこからは看護師さんを15分毎呼び、身体の向きを変えてもらった。

夜中の3時、看護師さんから、もう辛そうだから睡眠薬を投与しましょうと言われ、泣く泣く同意した。

母として、麻酔の痛みに耐えるのではなかったのか。私としては、完全なる敗北であった。
無駄な努力と無駄な敗北…


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翌朝起きると、あの身体中のしんどさはだいぶ楽になっていた。身体は少しずつではあるものの動かせるようになり、時間をかければ起き上がれるようになっていた。

看護師さんから「今日から自分で頑張って歩きましょう」と言われた。

早速トイレに自分で行こうとなった。
自分でトイレに行ける!帝王切開の手術前から絶対安静で、全て車椅子移動だった私は、自分でトイレに行ける嬉しさを噛み締めた。念願。

頑張ってゆっくり起き上がろうとした、その瞬間…


目を開けたらベッドにまた寝ていた。


ん?


どうやら、貧血で倒れたらしい。
よく小学校時代、全校集会で貧血で倒れる子を見ていたが、私としては初貧血だった。

幸い怪我はなかったが、貧血で倒れる意識がこういう感じなのか勉強になった。意識って飛ぶんだ。初めて知ったぞ。

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出産前に絶対安静だったせいか、私は身体の戻りが遅めで、しかも左足だけはパンパンに腫れていて、歩くのも数日間は手すりが必須だった。

帝王切開経験者の友人からは辛いとは聞いていたが、痛いし、なかなか身体が思うように動けないし、まさかこんなにしんどいとは思わなかった。
個人差はあるのだと痛感した。

そして、出産前まで手厚かった看護師さん達が「まずは自分でできるだけ頑張って」とスパルタ方針に変更し(看護師さんは悪くない)ほぼ介助なしとなった。

「出産前と後で全く扱いが違うぞ。私にとっては出産後の今の方が助けてほしいのに…ううう…」
180度手の裏を返したような塩対応を恨んだ。
(もちろん看護師さんは悪くない)

子はNICUにいるため、子に会いに行くには産科に隣接するNICUに自分で歩いていかなくてはならなかったものの、数十メートルの距離が私には数キロメートルに思えた。
手すりを使い、ゆっくりゆっくり歩いていく。
まるで登山。

母になった本当の最初の試練は、鎮痛剤を我慢することではなく、帝王切開後の身体の戻りに耐え、NICUにいる子に会いに行くことだったのかもしれない。

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今日は私の話だけです。

この時の写真、たくさん撮っておきたかった。
悔しい。