見出し画像

帝王切開

前回はこちら…

出産が1ヶ月早まったと同時に、お腹の中の子の推定体重は小さめで、出産後は恐らくNICU(新生児特定集中治療室)に入るだろうと言われていた。
しかし、なるべくお腹の中で成長できるようにと、出産までの毎日、お腹の子の成長を促す筋肉注射を腕にすることになった。
その注射をすると、出産が早まる可能性が高くなるということで、私は一般病棟からMFICU(母体児集中治療室)に入った。

MFICU中には、ナースステーションや分娩室があり、聞こえてくるのは、看護師さんとお医者さんの声や会話と分娩中のお母さん達の声だった。
なかなかカオスな状況であった。

🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥

いよいよ帝王切開の日を迎えた。
友人からLINEで「今日はとてもよく晴れてるよ」と写真付きで教えてもらった。
窓のないMFICUで、全く外が見れてない私は、晴れの日に出産するのだと感慨深く思った。

主治医の先生に、この日までに破水しなかったことを褒められつつ手術室に車椅子で向う。
私、褒められたけど頑張っていない。ただ祈って寝てただけなのに。何だか申し訳なかった。

手術室前に着いた。
父が手術する時に、何回も見送る立場だった私が、今回は皆に見送られた。
死を目の前にしていたあの時の父と、これから生に立ち向かう私では状況は違うけど、手術に向う人はこんな気持ちなのかと少しわかった気がした。

本人確認をして、自分で車椅子から立ち上がり、久々手術台に歩いて行った。
手術台に寝転がる。
背中に麻酔(局所麻酔)をする。注射はかなり痛かった。徐々に痛みの感覚はなくなり、触れてる感覚のみとなる。

そして、目を開けるとの天井ライトの金属部分に、自分の手術の様子が見えそうだった。
さすがに見れない怖いと思い、意識はあるも目を閉じることにした。

始まった。

大学病院ということで、数名の学生が見学していた。そして、子はNICUに入る可能性もあるので、新生児科の先生も待機していた。

多分ざくざくきられたと思う。その後、お腹を押された。強く押されたりした。痛くないけど、押される感覚はあるので、何度も「うー」と声をあげた。

帝王切開は、これまた自分の人生における重大な瞬間であるのに、私はうーうーとのたまわり、ただずっと寝ているだけだった。
私一人に手術室には(見学者含め)お医者さんや看護師さんが15名以上いた。
なんかお腹やら丸出しだし、うーうー言ってるし、ちょっと気恥ずかしかったけど、(当たり前だけど)誰もそんな私を気にしてない。
もはや、お医者さんや看護師さんに身を委ねるしかなかった。

🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥

そして、産まれた。

しかし、産まれた直後の子の泣き声は小さかった。
出産後の赤ちゃんの泣き声は大きいものじゃないのか、即、不安になる。
近くの看護師さんに私は「声小さくないですか」と聞いたが、「声は小さいけど、大丈夫よ」と言われた。
ただ、明らかに私を気遣っているように見えた。

さらに不安になる。

子は運ばれ、私はお腹を縫う作業が始まった。
私はすごく心配になった。
子は泣き声が小さいけど、健康なのだろうか。
何かあったのだろうか。

その時にやっと気づいた。
手術室でハッピーバースデーの音楽が流れていた。
どうやら産まれた瞬間から、看護師さんが流してくれていたようだ。

これはおめでたい瞬間なのか、でも私、全くそんな気分じゃないぞ。

私はただただ心配で、ハッピーバースデーが悲しく聞こえた。

🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥

結局子はそこまで大きな問題はなかった。
しかし、小さかったので、予想通りNICUに入った。

出産の瞬間のイメージはとにかく幸せでいっぱいかと思いきや、帝王切開とはいえ手術だし、産まれた直後の子の声は小さくて不安になるしで、現実は不安でいっぱいだった。

今でもあのハッピーバースデーの音楽に気づいた瞬間は忘れられない。

なかなか実際は厳しいものだ。

子はとにかくにゃんこが大好き。
オタネコとモヒカンネコ

子「もちろん産まれた瞬間なんて覚えてないよ。
今はにゃんこ大戦争で、次のコラボが何になるかが気がかりだし、それしか考えられないから、
ごめんだけど、話しかけないで」

彼にとっては深刻な心配事だけど、楽しい、いい悩みだと思った。


※この後、「帝王切開続き、本当に辛かったのは術後だった」編、「知らなかったNICUの世界」編、番外編「今度は大丈夫なはず、二度目の帝王切開」編に続きますが…また記録したいと思います。ww