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働かないでいきてみたい。

どうもこんばんは、自分です。
今日は #もしも叶うなら  というタグを見かけたので、これについて書いてみたいと思います。
と言っても、タイトルの通りですが。
なんとも俗物的な考え方です。夢も希望もありません。
もうちょっとこう、きらきらしたというか、なんかこう、良い考えは浮かばないものでしょうか。
なんて、我がことながら思うばかりです。嘆かわしい。
現在休職中、復職の目途が立たない立場としてはなかなかにひりついた願望ではあるのですが。
どうしたって冴えない願い方ですよね。うーん。

じゃあ逆に、冴えた願いってどんなんだ?

もうちょっと建設的なことも考えましょうか。
もしも叶うなら。
そうですね、働かないでいきてみたいです。
働かないで、じゃあその時間で何をするかと言えば。
じ、ジブンサガシ?
あー、これもなんかだめ。ダメそう。すごくありきたり。
でもいま、自分がやっていることがこれ、なんですよね。
休職をして、メンタルクリニックに通って。お薬飲んで、毎日家で何かできたり何も出来なかったりして。
やろうとしているのが、自分との無理のない距離の取り方の模索です。
うまくいかない、という言葉の定義はつまり、自分との折り合いがうまくつかない、ということなのだと思います。
その、合意点を探すこと。
ここまで自分に期待して、ここまでちょっと頑張ってみて。
これくらいのことはまだ自分にもできるんだぞ、と自分自身に証明してみる。
そうして、もうすこしらくに呼吸できるような、自然な立ち方を覚えること。
それが、今の自分に必要なことだと考えています。
もしも、がなんでも叶うなら、その期限を延ばすことができます。
それは、とても素敵なことに思えます。
時間的な制限があるとどうしても焦りますし、成果が上がらないとどうしても自分が嫌になりますし。
だからやっぱり、やりたいことは『働かないでいきること』です。
いきていくってむずかしいね。

働かなくってもいいのなら。

のんびりと、文章を書いていきてみるのもいいですね。
というよりも、ずっとずっと持っている夢です。
文章を書いて生きること。
今の力量ではとても生活を成り立たせることはできないので、まずは書く練習をするところから。
少しずつはじめて、ゆっくりといきてみたいです。
もしも、が叶うならこれだってきっと叶う。
本当に、泣きたいくらい素敵なことです。
苦しいなあ。今の自分じゃとてもじゃないけど叶わないことだから、きっとこんなに、くるしいなあ。
もっと自由に飛べるようになりたい、というのは常に思っていることです。
もっと欲を言うならもっと、もっときれいに飛べるようになりたいです。
それが自分にとっては『文章を書く』ということに近かったりもするのですが。
いろんな、実務的なことを放っておいて、そんな夢みたいなことだけを追いかけていられたら、きっと、ずっと、もっと、素敵なんでしょう。

こうして、また大したことは書けませんでしたね。
悔しいなあ。
では、また。

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