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「彼」を示す(序章)

数年にわたって押し込めてきた「彼」への想い。「彼」という神秘に抱くいくつもの感情。
そこにあるのは、彼を客体化せずにいられない自分の暴力的な癖と、彼とともにありたいという主体視したいという欲望である。

このことは、慎重に慎重に言葉にしたかった。だから今まで書かなかったし、これからも極力文章にはしないことだろう。私は言語化という作業を、「彼」に対する一種の暴力であるとさえ思っているのだ。それは私が単に未熟者であるからということもあるが、哲学的見地からの意見でもある。
しかし、書いておかねばならぬと感じている自分がいる。それは、こうして認めておかねば頭の中が堂々巡りになってしまっているからに他ならない。
誠に勝手ではあるが、自分の想いを整理するため、「彼」を語らせて欲しい。

一つだけ言っておくとするなら、私が「それ」と呼ばず「彼」と呼ぶ理由は、私にとって「それ」は最早モノではなくなっているからである。

私は多分、倫理から物理現象まで幅広くとりあげ、それらを綯い交ぜにして書き下してしまうと思う。また、「彼そのもの」を語ることは決してしないと思う。意味のない文章、独りよがりの文章と言われようが、彼の名を伏せることが彼を守ることだと思うから。
ただし彼を示すことはしている。ただ、彼を語りはしない。

最後に、私が脳に巡らせている一節をここに示し、一度筆を置く事にする。

語り得ぬものについては、沈黙せねばならない。

『論理哲学論考』ウィトゲンシュタイン


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