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『メスとたましいのブログ』第32ターン;昭和の臭いを令和に届ける方法

 こんにちは。金太郎さんの『メスとたましいのブログ』です。

 娘が中学生になり歴史の教科書なんかをチラチラ覗き見していますと、、、出てきますね。大化の改新やら大宝律令とか。もっと時代が進めば応仁の乱とか享保の改革とかもありました。
 それらは全部“元号”がついた歴史的な出来事ですが、一方で覚えないといけないのは“年号”のほうだったりしましたね(汗)いまだに覚えてます。そして意外とマニアックな年号のほうが覚えてたりします。。。1274年の元寇とか。。。パッと最初に出てきたのがそれでした。なんでやろ??

 令和の時代の生徒は元号とか年号とかどこまで覚えないといけないんでしょうか。そう考えると昭和って長かったんよなぁと改めて思います。人生半ばの私なんぞは昭和の後期の生まれですから、平成、令和と3つも元号を体験していることになりますが、そういう世代がいわゆる“現役世代”にはまだわんさかいるということですよね。朝の連ドラで「昭和の名曲」が生きたコンテンツとして扱われるように、「昭和の○○」という表現がまだまだしばらくは巷で使われそうです。

 そんな昭和の時代からそうだったのか、もっと言えば大化の時代や大宝の時代からそうだったのかは分かりませんが、この日本という国では「配慮」や「気遣い」が必要なんだなぁと改めて思わされることがあります。

 具体的な例を上げれば本当にキリがありませんが、顧客に対する配慮・気遣い、従業員に対する配慮・気遣い、家族やパートナーに対する配慮・気遣い、それができなければ営業マン、社長、夫や妻として失格の烙印をいとも簡単に押されかねません。
 しかもそれは公然と行われるのではなく、「あの人、ホンマに無神経やよね。。。」と自分の知らないところでこっそりと“認定”されることがほとんど。気づいた時には仕事にもお金にも人にも好かれない自分の出来上がり、、、なんてことも。

「令和の時代に、空気読むとか他人に気を遣うとか古臭いよ!!昭和か!!」

 という言葉を聞かないワケでもないですが(笑)、その発信源が実は『非昭和』世代で、先ほど申し上げたようにまだまだ世の中の大半、特に、身も蓋もない話ですが“お金”を持っておられるのは“昭和世代”の方々ということは忘れない方が良さそうです。

 自分がされて嫌なことは相手にしない。

 相手に妬まれるようなことは無闇にひけらかさない。

 相手に喋ってもらい、相手が聞きたいことだけを喋る。

 他人のせいにはしない。

 人には親切にする。

 どうでしょう。こうやって挙げてみると、、、別にこれは昭和の時代にだけ行われていたことではなく、平成、令和生まれの人たちとも心地よい人間関係を作る上では必須の心構えのように思えてきます。今の若者だってこういう人間関係を求めているんじゃないでしょうか?

 やっぱりどこまでいってもこの国は「配慮と気遣い」の国、なんでしょうね。

 元号なんてもの自体がもはやオワコンなのかもしれませんが、なんだかんだこの日本に住んでいる限りはその『元号縛り』から完全に自由に慣れることはなく、時代の一つの節目として意識せざるをえないのかもしれません。
 そういう意味では隔絶した時代の空気といったものが流れ込んでくる時、我々は違和感を感じつつも、どこか深いところではセンサーが敏感に反応しているということはありそうです。
 先ほども申し上げましたが“配慮”や“気遣い”なんて言葉は太古の昔から存在していた可能性もあり、どれだけ新しい風が吹き込んでこようとも、我々の心の深いところでは、

「なんかあの人、、、ちょっとな、、、」

 という言葉が消えてなくなることはないのかもしれないな。。。そんなことを思う今日このごろです。大変ですけどね、常に気を遣うのって。でもそれがこの国に通底する不文律なんだとするならば、、、やらないという選択肢はなさそうですよ。

 それでは今日も気配り、目配り、心配りを意識して生きていきましょう!

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