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今日の日記(『52ヘルツのクジラたち』)

 今日、どうしても映画がみたいと思った。
 じゃあ何を観ようと最初に思い浮かんだのは瀬尾まいこ原作の『夜明けのすべて』(原作読了)。しかし今日はプラネタリウムにも行きたくて、それを考えると時間の都合が悪く断念。じゃあ何にしようかなと思って『劇場版ハイキュー‼︎ ゴミ捨て場の決戦』(これもすごく熱くてよかった)が始まる前の予告ででてきた『52ヘルツのクジラたち』。(町田そのこ原作のやつだ!未読だな。町田そのこ自体未読の作家さんだ。)主演を演じる杉咲花。住野よる原作『青くて痛くて脆い』で吉沢亮とW主演したあの杉咲花だ。くてくての原作が好きだった私はそれを観に行った。杉咲花が演じた秋好寿乃は杉咲花ではなく秋好寿乃だった。杉咲花の演技はすごかった。だから。『52ヘルツのクジラたち』。あぁ、みなきゃ。これをみたい。これをみよう。そう強く思った。

 大号泣。杉咲花の演技は凄まじい。泣き方、しゃくりあげながら必死に言葉にしようとする苦しい姿。胸が張り裂けそうになったり、愛されたかったのにもうどうでもいいかもという絶望の表現の仕方、本当はそこにまだすこしだけ希望を持っていそうな眼。演技、とはいうが、杉咲花の涙は特に本物の涙だと思えた。
『キナコは大切な人』、『キナコの幸せを願ってる』。そんな言葉には既視感があった。そこで必死に52ヘルツのクジラとして生きる人々がいる。その中で私にしかわからない感情があってどうしても重ねてしまう場面もあって、私は泣いていた。
 アンがキナコに新名と別れた方がいいといって、キナコはもう幸せくらい自分で決められると断言して、それにわたしはキコだよと言った。人は変わっていってしまう。どうしようもないのだと思う。同一人物でも過去のあの人はいないってとてもとても、どうしようもない気持ちになる。(このシーンでくてくてを思い出したりもしていた。ほんの少しだよ。)キナコは変わってしまったの? アン。アンが52ヘルツの叫びをキナコに言えていたら。違う。言うのは簡単じゃない。言うのが正解じゃない。言うも言わないも自由。でもキナコはそんなの二の次で、アンは運命の魂だった。どちらも譲れない想いがある。アンの気持ちがわかる、だなんて私には言えない。キナコの幸せを心から願うからこそ、死をもって。それくらいの。
 新名はキナコの過去を知ってるくせに簡単に殴るんだね。最低だ。新名は人生が壊されたんだとアンの秘密を、人生を、生き方を、抉るように否定するように曝露した。言わないという選択だって尊重しなければいけない。いわなくてもいい(大前提としてもちろん隠さないといけないような世の中がいけないのだけど)。
 どうしようもなく。アンが風呂場で血の海の中息絶えている。その時の杉咲花の演技、いい。遺書。新名に向けられた遺書。キナコじゃなかった、でもキナコの幸せを願うもの。(バス内で読んで泣くシーンもただ泣きじゃくるような涙じゃないのが大好きだ。泣くつもりなんてなかったのに、急激に込み上げてきて涙がぶわっと溢れて苦しい、みたいな。)それなのに読みもしないで簡単に火につける新名。殺すのかと思った。キナコが刺したのは自分自身だった。
 キナコは52ヘルツの叫びを、その痛みをアンに見つけてもらえた。すこしずつ笑顔が増えていって、幸せを自分で掴めるほどになった。でも。キナコはアンの52ヘルツの叫びに気づけなかった。見つけられなかった。52ヘルツのクジラはみんな。でも、52ヘルツのクジラはアンもだった。息絶えてからやっとキナコに声が届いた。遅いよ。苦しいよ。
 アンに死んでほしくはなかった。安吾として生きていてほしかった。キナコと一緒にともに生きてほしかった。
 友人に「どうだった?」と聞かれ(よくぞ聞いてくれた!て思ったね。)ものすごくよかったことを伝え、そしたら志尊淳、若林佑真、杉咲花のインタビュー記事を送ってくれて(友人はまだ観てないらしい。観ると言ってた)読んだら、とても誠実な人で、杉咲花は芯まで強い人だった。こんなにも寄り添って映画にしてくれているのだとわかって余計に染みる。私たちは考えなければいけない。想像するのをやめてはいけないよ。

 映画が始まる前に既に空腹状態だったのだけど、涙ばかりを流して頭が痛くなったその時の身体は全く食を受け付けず(受け付けてても食べてる時間はなかったのだが)、まっすぐにプラネタリウムへと移動。
 子どもづればかりで小規模のプラネタリウムでは子どもの声がよく響いてしまって残念だったけどトータルしてやっぱりよかった。
 プラネタリウムなんていつぶりだろう。ずっと行きたいと思ってたからこの日にいけてよかった。『52ヘルツのクジラたち』のあとにみれてよかった。
 空は繋がっているらしい。知っていたけどやっぱりそうなんだなと思った。そして、宇宙は広すぎる。意味がわからない。本当にわけがわからないほどに未知で膨大だ。果てなんてないんじゃないか、理解できないほどの宇宙の中のほんの、ほんのちっぽけな惑星に、私たちがいるらしい。知っている。知っていたしそれって素敵だって思ってきたのに、なんだか忘れていた気がするんだ。生まれて生きて、その答えは今は関係なくて、ただただ、ここで大切な人たちに出逢えたのは奇跡としかいいようがないんだなと思って、そしたら泣けてしまった。(プラネタリウムで泣くってなんだ。最近涙もろい。)地球は広くて世界は広くて、日本ですら広いって思うし出逢える人は本当に限られてくるし、そもそもはちゃめちゃに広大な宇宙のたったこの地球という惑星にあなただけの意思をもって生まれてきて私と出逢えたなんてそんな奇跡、運命でしょ。と思った。突拍子もないかな。でもほんとう、そう思った。
 みんな幸せに生きていければいい。ちょっとした人間関係のいざこざなんかはあっていいから、それも含めて幸せでいいから、命の奪い合いや心身を傷つけるいろんな暴力、痛みだけの悲しい日々たちは失くしてほしい。
 あと、星の解説ってやっぱりいいなって。空に映し出されるさまざまな現象がうつくしい。いろいろ題材にして小説にしていきたいなと思った。

 最後は本屋で締めくくり。入った小さな本屋に、30代くらいの男女がやってきた。ふたりは「流浪の月が~」とか「52ヘルツのクジラたちは~」(あ、それ今私観てきました!)とか「この作家ってこういう系ばっかなんだね」みたいな会話をずっとしていて、私は並べられた本たちを眺めながら耳を傾けてた。すごく楽しそうだったな。混ざりたかった。でも混ざれないから、だからフォロワーさんと対面で会ってそんな話を本屋で本を眺めながら「あ!これこれ」って話をしたいなて思った。
 今日買った本は凪良ゆう『すみれ荘ファミリア』。最近は図書館で借りているので買うのは抑えているのだけど今日はいいよね。

 満開の桜もそういえばみたんだ。かわいかった。

 
 

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