いつかは髭ダンディズムに。
充電池は、いじわるだ。
彼らは肝心な時に、なくなる。懐かしのモンハンでもやろうかしらと思ったときに限って、PSPは充電切れ。好きなアーティストの新曲が配信されたという時に限って、イヤホンは充電切れ。そして、朝寝坊してしまって1分1秒をあらそう時に限って、シェーバーは充電切れだ。
顔の右半分をそりおわった時に、突然モーターが止まる。充電してくださいのマークがチカチカ点滅している。なんで今だ。最初から動かなければ無精髭ですんだのに。とんだアシンメトリーフェイス。ある意味、芸術フェイス。
急いで充電コードをつなぎ、先にできる準備を進める。「普段から充電するようにしておこう」と心に誓い、30秒ほどの充電で、急いで左半分をそる。無事、シンメトリーに。
問題は、この一連の流れを定期的にくり返していることだ。さっきの誓いはどうした。ひと月に一度は、アシンメトリーだぞ。
そもそも忙しい朝にヒゲをそるのが、無駄だ。そう考え、髭を生やしたままにしてみた。職場に「髭禁止」という謎ルールがあったので、マスクの下でこっそりと。非公式。アンオフィシャル髭男ディズムだ。
職場で歯を磨いた時、鏡にうつるは髭の自分。…のはずだが、そこにいたのは、あんまり好きじゃないYouTuberに似ている男。その日のうちに髭はそった。グッバイ、それじゃ僕にとって髭は何?
「脱毛しちゃえば?」といわれる。ごもっともである。たしかにもう生えてこないなら、こんなにラクなことはない。
しかし、ぼくにはある「仮説」があるのだ。髭に関する、髭研究会を揺るがすかもしれない仮説が。
その仮説とは「歳を重ねていくとだいたいの人、髭似合う説」である。ああ、研究会のざわめきが聞こえる。
ある程度、歳を重ねた男性が、きれいに髭を生やしているとダンディだ。いわゆる、イケオジ。イケオジに、にわかに憧れているが故に、脱毛に踏み切れないのだ。
髭といえば、歴史の偉人がたくわえているイメージだ。歴史の教科書を開くと、だいたい髭だった気がする。いやそれは言い過ぎのような気もする。いずれにせよ「偉人」+「髭」というキーワードを見ていたら、ぼんやりと「伊藤博文」が浮かんできた。
伊藤博文だって、若い頃から比べていくと、ダンディズムが増しているはずなのだ。実際に見てみよう。
キリッとした顔立ち。和服がよく似合う、日本男児である。強そうだ。表情にどこか余裕を感じる。しかし、当然「ダンディズム」はまだない。
洋服をお召しになった伊藤博文。和服も洋服も着こなせるなんて、レベルが高い。しかし、まだ「ダンディズム」とは言えない。
そして、いよいよ、THE・伊藤博文。
おおお。威厳。
威厳 of 威厳。そして醸し出されるダンディズム。これは紛れもなく、髭のチカラだ。
わたしも伊藤博文のように、ダンディズム醸し出す大人になりたいのだ。だから脱毛をせずに、今日の朝も、そして明日の朝も、無駄な時間だと思いながらも、シェーバーで髭を剃るのだ。
いつか髭ダンディズムになれると信じて。
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