再開

ひょんなことから、またnoteで言葉を並べることにしました。

以前書いた文章を読み返してみると、去年の5月のことでした。Uターン就職し、地元でうずうずぐじぐじしていた頃の自分の言葉がありました。思い返せば大したこともなかったんですが、あの頃のわたしにとっては、抱えようがないほど大きな苦しみだったのです。


「後になってみれば」「思い返せば」

などとよく言いますが、その時はその時。未来がどうなるかなんて知る由もないのだから、

「もう少し待ってみたら、解決するかもよ?」
「判断を早まっても後悔するよ」

なんて大人の言葉は、より苦しみを大きくして、胸の締めつけをきつくしていくだけなのです。


そして、その大人と呼ばれるわたしよりも長く人間をしている人たちと、自分自身の人間歴の差を感じさせられて。その差に圧倒されるのか、うんざりするのか、それは人それぞれかと。

わたしは、大人の言葉を鵜呑みにしたり、その言葉に服従したりすることはありません。
ただ、自分よりも長く生きた人、歳の差の分だけ多くごはんを食べているということ、それに違いはなく、決してその差を容易に詰めることはできません。
だから、大人を馬鹿にしてはいけないと、そう思っています。高校時代の恩師の教えからかもしれません。

ただ、いくら大人でも、いくら両親でも、わたしという人間で生きた経歴はないわけで。
わたしはわたしとして歩き、選び、紡いだ結果できあがっているかたまりです。
自由に道を選ばせてくれた両親には感謝しています。
だからこそ、「普通でいたい」「優等生でいたい」と思うのです。

葛藤です。優秀でいたい、一般的な「安泰」な生活を送りたいです。けれど、そうして作り上げた空間にいることが、心地よいとは限らないと、親元を離れて月日が経つごとに、気づいてしまいました。

いろいろ喋ってしまいました。めんどくさい話はこれくらいでいっか。

大丈夫だよわたし、だんだんと自分のことが分かり始めている。わたしのことをわたしがよく理解してあげること。結局はこの先、ずっとわたしの哲学なんだから。

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