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アイドル、永遠を歌え、謳え

「歌う」
音楽的な高低・調子などをつけて発声する。

「謳う」
ある事を盛んに言いたてる。明記して主張する。

 アイドルが永遠をうたうことは、特段珍しいことではない。どんなアイドルも、1度は永遠をうたったことがあるのではないかと思うくらい、アイドルと永遠は結び付きが深い。そんなアイドルと永遠の関係についてここ最近感じたことを書いてみようと思う。

1. アイドルは残酷だ

 アイドルというものは、私たちオタクの生活の中に当たり前にあって、必要不可欠な存在だ。「明日あのコンテンツがアップされる」とか、「来月中旬にアルバムが出る」とか、「来年の11月はデビュー2周年だ」とか、毎日の中に自然に組み込まれていて、それがカレンダーみたいに頭の中に常に置かれている。だけど、よく考えてみれば、「1年後絶対に存在するアイドル」はいないはずだ。むしろ、「明日絶対に存在するアイドル」もいないと思う。なぜなら、アイドルは残酷だからだ。アイドルは残酷で、いついなくなるか分からない。脱退したり、引退したりして、いつかいなくなってしまう。私の推しも、今日元気にライブをしているからと言って、明日も同じようにライブをしているとは限らない。

 一方で、アイドルがいなくなる、ということが起こるのと同じように、オタクがオタクを辞めるということが起きることもある。
 私には、あるアイドルを「推しがアイドルとして、あなたらしくいてくれればそれでいい」というスタンスで応援していた頃がある。事務所が変わっても、本人たちが結婚しても、推しがそこで生きていてくれればそれでよかった。だけど、しばらくすると私は、「アイドルが変わる」ことに抵抗を示すようになってしまった。「あなたらしくアイドルでいてくれればそれでいい」と思っていたのに、いつからか「私が好きだったのはこんなアイドルじゃない」と、彼ららしさを否定して、自分自身のエゴを押し付けるようになってしまった。だから私はそのアイドルを応援するのをやめた。
 人間は最初からそこにそうやってあったものなら、それを当たり前のように受け取るのに、目の前で変化したものには抵抗を示す。自分が好きだったものが変化すれば、抵抗の力はなおさら威力を増す。だから、推しが推しである確証も、私たちがオタクである確証も、どこにもないのだ。

2. 推しは推せるうちに推せ

 アイドルは入浴剤と似ているような気がする。入浴剤をお風呂に入れると、何色でもない透明なお湯に色が付く。赤、黄色、緑、青、それが何色かは入浴剤によって違うし、入浴剤によっては効能があって、「肩こりに効く」とか「血流を促進する」とか、一つ一つ違う性格を持つ。だけど、その入浴剤は周りに色を付ける一方で、自分自身は泡を発しながら溶け、だんだんと消えて、いつしかなくなってしまう。

 アイドルは私たちの生活の中に溶け込んで、生活に色を付ける。私みたいに、なにも持っていなくて、生きることに意味を感じなかった人が、アイドルを応援することで生きる意味を得るのだから。そして、アイドルの数だけアイドルの形が存在し、みんなそれぞれ違う個性を持つ。その個性が誰かの「好き」に当てはまって、アイドルとオタクの関係性ができる。アイドルは応援されることで輝き、オタクは応援することで生活が豊かになる。だけど、アイドルはそうやって輝く一方で、何かを失いながら輝く。それは学生生活かもしれないし、恋愛かもしれないし、一般人として生きるごく普通の日常かもしれない。「ステージに立つ」ことの引き換えに、その代償が生じる。だから、アイドルは輝きを放つ一方で、なにかを捨てて、あるいはなにかを手放して生きている。そして、そうやって輝くアイドルは、人に希望を与えるのと時を同じくして、終わりに近づいていく。他人の生涯に色を付けて、人生を豊かにして、生きる力を与えるのに、アイドル自体は溶けていって、いつかは消えてしまう。

 世の中に「永遠に溶けない入浴剤」が存在しないように、「永遠にいなくならないアイドル」もいない。もちろん、アイドルにはいろいろな終わり方がある。生涯アイドルとして生きる人もいれば、全生涯をアイドルとして生きない人もいるだろう。ただ、いずれも必ず終わりがくる。生涯アイドルとして生きた人は人生の最期に、全生涯をアイドルとして生きなかった人は引退したり脱退したりして表舞台から姿を消した時に、アイドルとしての終わりがくる。

3. アイドル、永遠を歌え

 残酷で、永遠の存在しないアイドルだけど、そんなアイドルはよく、永遠を歌う。「永遠を誓おう」とか「約束は永遠に今も」とか。「永遠」という言葉が入っていないにしても、「絶対変わらない」とか「このままずっと」とか、不変を歌うことも少なくない。

 アイドルにとって「永遠」は常套句だ。なのに、アイドル自体は永遠ではない。 

 曲を出す時に、毎回作詞をアイドル自身がしています!というアイドルもいるが、世の中にはそうではないアイドルのほうが多いだろう。だから、どこかの誰かが作詞をし、それをアイドルが歌っていることのほうが圧倒的に多い。アイドルは他の誰かが作った歌を読み上げているだけ。言ってしまえば、他人の言葉の受け売りをしているだけ。

 私の推しは、そんな残酷で脆い言葉の羅列を自分のもののように歌うことが、とっても上手だ。誰かによって作られた歌詞を、さも自分のものかのように、彼にしか歌えないものかのように歌ってくれる。そして、私にとって、彼の歌が「彼自身が言ったこと」に成り代わっていく。彼が「行ける I believe」と歌えばなんだってできる気がしたし、「I'm not afraid at all」と歌えば、何も怖くなかった。私は、ただの言葉の羅列の、美しくて残酷なところを可憐に歌う、そんな彼が好きだ。

4. アイドル、永遠を謳え

 「ずっと好きでいてください」「これからも一緒にいてほしい」そんな言葉をアイドルに言われたことはないだろうか。アイドルに永遠は無い、という話を散々してきたのだが、私はアイドルが永遠を謳うことがよくあるなと思う。

 アイドルが永遠を謳うのはなぜだろうか。私は、永遠のないアイドルが永遠を謳うことに価値があるから、だと思う。オタクというのはチョロいもので、とりあえず「ずっと好きだ」とか「一緒にいよう」とか、そんなことを言っておけばついてくる。だからアイドルが永遠を謳うんだと言われてしまえばそれまでなのだが。

 私が応援しているアイドルは、そんな言葉をよく口にしてくれる。なにか賞をもらった時には「いつもファンがいてくれたから。これからもよろしく」とか、コンサート終わりの挨拶では涙を流しながら「この時間がずっと続けばいいのに」とか。彼らはそんなことをものすごく頻繁に口にする。今まで私が応援してきた、どのアイドルよりも。だから、永遠だと思わせてくれる。彼らは、アイドルという存在がいなくならないものだと錯覚させてくれる。大体、こういうことを現実で言うと幸福論者だとか都合が良すぎだとか、夢見すぎだとかいわれるのだが、オタクなんてそんなもんだろう。

5. オタク、永遠を願う

 私たちはアイドルに永遠など存在しないことを分かった上で、アイドルが永遠をうたうことに趣きや感慨深さを感じる。だから、アイドル自身も永遠をうたうことを誇りに思っていてくれる場合が多い。

 永遠に存在するアイドルはどこにもいない。明日推しが当たり前のように「おはよう」と言ってくれる確証も、グループ全員で存在してくれる確証もどこにもないから、私はつい、アイドルに対して永遠を求め、その押し付けをしてしまう。永遠のない現実の一方で、「ずっと一緒にいてほしい」「これからもどうかそのままでいて」と、永遠を願ってしまう。永遠を願うことは悪いことじゃない。ただ、1度願ってしまったら、もう願わずにはいられなくなる。だから、私は怖いことだと思うのだ。

6. アイドル、永遠を歌え、謳え

 アイドルに永遠はない。いついなくなるか分からない彼ら、彼女らについ永遠を求めてしまうけど、「これからもずっと好きでいたい、応援させてもらいたい」と思える今だけでも、そうやって口にして、永遠という理想を現実にしたいと私は思う。そして、オタク側がそう思う傍ら、アイドル自身も永遠を歌ってくれるし、謳ってくれる。そんなアイドルは、いつだって頼もしくて、とんでもなく魅力的だ。地上とか地下とか、デビューしてるとかしてないとか、ソロとかグループとか、そんなの一切関係ない。アイドルは誰かの憧れであり、生きる意味だ。
 
 アイドル、永遠のその終幕まで、歌え、謳え。