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ゴキブリが出た話

ゴキブリが出た。

生まれてこの方、家でゴキブリを見たのは過去に2回ほどある。
だが、今回ばかりは強烈だった。
こんな至近距離、まさしく自分のパーソナルスペースを土足で、そして悠然と闊歩しているのは初めてだ。

僕は激怒した。だが、この時ばかりは怒りよりも恐怖が勝ったので、僕はゴキブリに部屋を明け渡した。
日頃から日本の平和的教育を享受していることの成果だろうか、コンマ1秒とかからずに平和的解決策を導き出した。


その日の夜は、仕方なく震えながら部屋に戻り、ゴキブリのいる部屋のベッドで仕方なく寝ることになった。忸怩たる思いを抑えるため「負けたことがあるというのが、いつか必ず大きな財産になる」と自分に言い聞かせて何とか3時に眠りについたが、それでも8時頃には起きることができる。僕は朝型の体質である。

今日やることは決まっている。抜本的に原因を排除するための掃除だ。
清潔を好むものの、整理整頓には無頓着に生きてきた僕だが、もうこうなったらやるしかない。
原動力はただただゴキブリへの恐怖心である。それ以外には何もない。


まず部屋の中にあるものを外に出し、家具をどかしてスペースを開ける。
そこに落ちているゴミを拾い、ホコリを拭う。
いつゴキブリさんとエンカするんだろうかという恐怖心が、仕事に綿密さと迅速さをもたらす。
この無心の作業を3回ほど繰り返せば、部屋のフロアの部分は全て掃除し終わるはずだ。

2回やっただけで取れるわ取れるわ。ゴールドラッシュのようにレシートやらゴミクズやらが見つかり、さらにひどいところでは大きめのカップラーメンまで出てきた。そういえばゴキブリの経路はちょうどこのカップラーメンの近くを通るものだったか...


フロア掃除の最後の仕上げは、部屋の大部分を占めるベッドの下である。
ベッドを力尽くでズラすと、いつもはベッドに覆われていた部分が露わになる。

これは、かなり汚い。
これまで掃除するときもわざわざベッドをズラしてまで掃除してこなかった蓄積だろう。
本の帯、ラノベや漫画に挟まっているチラシ、眼鏡拭き、10円玉などが埃をかぶって落っこちている。この謎の10円玉はプリベイドカードを削るために使ったやつなんだろうなぁ...

余りの汚さにしばらく無心でクイックルワイパーをかけていた時にふと気づいた。


ゴキブリはどこだ???


部屋のフロアの部分、目に見える部分は全て掃除した。考えられる部分はチェックしたはずなのだから、ゴキブリはここで見つからなければおかしい。
もちろん、ゴキブリが自ら鍵を開けて窓から旅立っていなければの話だが...

困った話だな〜〜〜としばし放心。
デジタルネイティブ世代のスマホ中毒並にスマホをいじいじしていると、叔母がドアの所に通りかかった。

(昨日見たゴキブリは幻覚だったのかもな〜)と幻想を抱くくらいにはどうでも良くなってしまった僕がもう掃除切り上げよっかな〜という旨の発言をすると、叔母が一言言った。
「クローゼットは掃除した?」


いやいや、クローゼットの掃除は無理だろう。

この部屋のクローゼットはここ数年誰にも掃除されていないような場所だ。僕も少し前に行き場を失った持ち物を適当にクローゼットに投げ入れた覚えがある。正直何が出てくるかわからない。ゴキブリよりもっと恐ろしいものが出てくるかもしれない。

仕方がないからクローゼットを開けると案の定、ナルニア国の入り口ですか?みたいなクローゼットが視界に飛び込んできた。
ここに今も使われているものが果たして何個あるのだろうか。


クローゼットを開けると同時に崩れ落ちてきた足下の荷物から、どんどん外に出して整理を始める。

最初の方に出した荷物は、最近突っ込んだものだからか、野球道具が多く出てきた。
昨年高1の4月をもって野球部を退部した僕は、その当時には野球道具たちと決別することはせずにこのクローゼットに無造作に投げ入れていた。(ちなみに中高一貫校である)

それは野球を辞めたことに対して引っ掛かりがあったからというより、辞めてすぐに先輩・後輩に道具を譲り渡すことが嫌味っぽく思われたら嫌だなと思ったからだ。

一つ一つ整理してビニール袋に入れていく内に、これだけの道具を不自由なく用意してもらっていたのがどれだけ凄いことだったかが、袋の重さとなって伝わってくる。

中には人から譲り受けたバット、グラブなどの道具もあった。
今回は逆に、本当に良い道具を先輩や後輩に譲り受けてもらおう。

譲ってもらう人を探すため、まだまだ使えそうな良い道具の一つ一つを写真に収め、Instagramのストーリーに説明と共にアップしていく。

何だか本をメルカリに出す手順のようだが、メルカリで端金と引き換えに道具を商品に変えてしまうよりは、顔見知りの人に道具を引き継いで欲しいと思った。それにこの状態では大した金額にはならないだろう。

その日の内に唐突に先輩や後輩の野球部員にフォローを飛ばしたから、ストーリーに既読が付くペースは早くなかった。
だがそのうち、消耗する系の道具からどんどんDMが来た。

辞めた時には負い目も感じた先輩からは、ほとんど手付かずのバッティンググローブやスパイクの替え靴紐、グラブの型付けハンマーの要望が来た。
7月に各都道府県で行われる地方大会はまだ開催の是非も分からない。ただでさえ受験の準備に手間取っている中で、開催に消極的な高3もいることだろう。だが先輩がまだ諦めていないことを知ると、少し心が暖かくなった。

そして、””未だ未開封の公式戦用ユニフォーム””という闇に包まれた道具以外は、この時に新しい主人を見つけるかゴミになるかの処遇が決まり、ひとまず野球道具の片付けには蹴りがついた。(ちなみにこれは郵送されたときの状態を維持している、本当に手付かずの道具である。状態が素晴らしいのでこのまま化石として残せるかもしれない)


しかし、野球道具の他にも「まだ何かに使えるかも」という人間の煩悩によってクローゼットに縛り付けられているようなモノたちは大量に残っていた。

おびただしい数のバッグ、散乱したクレヨン、中国の茶器。一応全て母に捨てて良いかを確かめる。
唯一、中国で買ったとかいう曼荼羅絵だけは駅前の質に持っていってみようかということになったが、ほとんどのモノは捨てられることになった。

野球道具の時もそうだったが、こういう時に処理コストをかけずに済むのは、それなりの金額で買った本当に良いモノである。

もし本当に良いモノであれば、こういう時に誰かに譲りたいだとか、もったいないからメルカリで売ろうだとか後処理の選択肢にも恵まれる。また、苦労して購入した経緯や、使っていたときの思い出すら浮かぶかもしれない。

だが、それが単なる消費でしかないのなら、もはや捨てるか捨てる判断を後回しにするかの2つしか選択肢はなく、心に浮かび上がるのはなぜこんなモノ買ってしまったのかという後悔の念だけだ。



消費って虚しいことなんだな〜と思いつつ、掃除は進む。

僕の考えでは、このクローゼットこそがゴキブリの最後の砦のはずなのだが、ゴキブリがカサカサと動き回る音も一切しない。
その時の僕は、もしかするとあのゴキブリは「部屋を掃除せよ」と伝えるための神の使いなのかもしれないと思っていた。
もし見つければ勇気を出して潰すだろうな、感謝の念を込めつつも。



掃除は進む、されどゴキブリは踊らず。

クローゼットをほとんど空にしたが、ついにゴキブリを見つけることは叶わなかった。会わなかったことには正直ホッとしたが、いささか拍子抜けでもあった。
卵を産んでるかもしれないため、クローゼットの床も丹念に掃除する。

すると、クローゼットの奥から正方形の箱が見つかった。
30cm×30cmぐらいの大きさがある立派な箱で、もしかするとこれも売れるような絵かもしれないと思った。
最悪、その中にゴキブリさんがいらっしゃる可能性もあるなと思い、慎重に箱を開ける。

中に入っていたのは厚さ5~6cmほどの分厚いアルバムだった。

中を開けてみると、かなり若い父と母の写真が目に入った。これはどうやら2人の結婚式ないし披露宴の写真のようだということはすぐに分かった。

今では、僕と姉から「私たちが成人したら離婚すれば?」と言われるぐらいの夫婦関係に落ち着いている我が両親が、このアルバムの中では仲睦まじい様子である。

今は亡くなった祖父もいるし、今は結婚して子供もいる僕のいとこが母のウェディングドレスの裾を持ち上げている。

ここに写っているもので、今と同じものは何一つないように思えた。
時間は過ぎ、人は変わっていく。
変わらないものよりも、変わるものの方が多いのだろう。

僕は母に捨てて良いか尋ねずに、掃除で綺麗になった元の場所にそっとアルバムの箱を収めた。



実際は僕はただ部屋の大掃除をしただけなのだが、いくつか重要な教訓を得た気がしている。


まず第一に、買えるならより良いモノを買った方が良いということ。

対価を支払うのは購入する時だけだが、買った商品は処理されるまでは自らの所有物なのだ。良いモノは多少値が張るかもしれないが、いざお別れするとなった時にコストを回収してくれるかもしれない。
だだ「良いモノ=高価」は必ずしも当てはまるわけではないということを身を以て知ることは今後起こるんだろうなと思っている。


第二に、人もその価値観も時が経てば必ず変わってしまうということ。

アルバムの中の両親が愛し合っていた(?)ように、変わらないことより変わることの方が多いのだろう。
結局だからこそ買い物は慎重にということに繋がってしまうのでミニマリストの主張みたいになってしまうが、今回の掃除中にWake up Girls!の1stアルバムを見つけた時は少しショックだった。
軽いアルバイトの報酬で購入したアルバムなのだが、15歳の時にハマったものはリバイバルするという謎情報に踊らされた結果の購入は完全に間違いであり、さらに言えばその後に家族がApple Musicのサブスクに加入したためアルバムが無料で聞けることになったのも予想外だった。

WUGのアルバムはどうでも良いことだが、あれだけ熱中していた野球からあんなにすぐ冷めてしまったというのも、人間が熱しやすく冷めやすい生き物なのかもと思わせるには十分な事実だった。
人は時に月日が経てば変わってしまうものなのだ。




そして結局のところ、ゴキブリは見つからなかった。
卵らしきものも、巣のようなものも見当たらなかった。

やはりあのゴキブリは神の使いだったのかもしれない。
結果的にゴキブリのおかげで、僕は綺麗になった部屋で週末を過ごすことができている。いろいろ考えることもできたし、こうやってnoteを書く時間も充実したものだ。

だが、教訓に一つ付け足すとするならば、「部屋でお菓子を食べたらちゃんと後片付けをしろ」これだけは言いたい。

ゴキブリの教訓はこれで沢山である。






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