感情と理性のはざまで

 先日、ある講義の中で先生が小型原子炉(SMR:Small Modular Reactor)についての紹介をしていました。なにやらSMRというのは小型なので、安全面やコスト面など様々な側面で従来の原子炉よりも優れており、カーボンニュートラルを推進する社会で鍵となるようです。別の講義回で紹介された大気汚染により何百万人もの死者が発生しているという話を絡めて、原発事故も大変だったけど何百万人もの命を救うには信頼を回復させながら原発を稼働したほうがいいと先生は説明していました。

 先生は原発事故の影響を現地で実感したことがあるのだろうか? 話を聞いた直後に、そう思ってしました。原発事故について触れたいはいましたが、軽くあしらっているように感じました(あくまで僕の捉え方です)。なぜそのように感じたのか。その背景には今年の4月上旬に、学習プログラムの一環で南相馬市や双葉町といった原子力災害に見舞われた場所に行ったばかりだからだと思います。現地の様子を肌で感じ、現地で奮闘する方々の話を聞き、原発の負の側面を実感しました。

 被災地の方々への同情の気持ちから先生の話に疑問を抱いたといっても過言ではないです。感情を抜きにすれば、何百万人もの命が救われる可能性を優先する選択も一理あります。カーボンニュートラルは世界で訴えられていることですし、SMRが再生エネルギーと比べて安定供給を行える有効な手段であることも間違いありません。最大多数の最大幸福に基づいて考えれば何を優先すべきかなど一目瞭然です。

 僕は原発稼働賛成派でも反対派でもありません。感情論に流されることなく、理性を働かせて適した選択をすればよいと思います。ただ、仮にSMRを導入するのであれば、「安全性の向上」という謳い文句に浸ることなく、リスクを考慮した丁寧な説明を十分に行ったうえで行動に移すべきだと強く思います。それが、「過去から学ぶ」ということであり、これまで原発に苦しめられてきた人への最大の配慮であると思います。

 たった一つの問題でもこれだけ考えなければいけないのに社会問題は腐るほどあります。毎度、社会の実情を知るたびにその複雑度合いに良くも悪くも感嘆します。だからこそその解決策を考える政策学は面白いのかなと思ったりもしました。

 



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