身体 肉体 からだ
身体。
それは
低次元と高次元のイメージが重なりあう、
不思議な存在。
意識や精神を高次元なものとみる見方からすると、
肉体は低次元とみなされてしまう。
しかし、
体の仕組みや働きを観れば
自分たちの知的活動より高度な知性の働きが観てとれる。
出産を目の当たりにして、感動をする。
しかし、
そのように産まれてきた自分であっても
慣れてくると、その神秘さを忘れてしまう。
あまりに身近で
当たり前にありすぎて、
注意をむけられていなかったりする。
からだとは
自分自身のようでもあり、
また他人でもある。
どう扱っていいのやら
自分の所有物のように扱って、
好きなように傷つけたり、
世話を焼いてみたり
無視したり
可愛くなってとお願いごとをしてみたり、
おべっかを使ったり、
甘やかしてみたり
思い通りにいくようでいて、
思い通りにいかなかったりと
まっこと、扱いに困る。
体に囚われるなといわれるが、
身体性がないと、ものにならない。
頭だけでの理解では、使い物にならなくて、
体認、受肉しなければならない。
身体は
どこへでも行けるということが出来る
と同時に
どこにもいっていないという感覚の根拠にもなる。
身体があるために動いているという感覚をえられている、
と同時に
自分が認識をおこなっている前という場は
生まれてこのかた不動である。
産まれてくるまでに、
生物史を辿るというすべてでありながら、
私という限定的なもの。
すべての時間をもちながら、限定的な時間をもつもの。
極大でありながら、極小でもあるもの。
最高でありながら、最低でもあるもの。
すべてでありながら、限られたものでもあるもの。
精神でありながら、物質でもあるもの。
自分と世界を別つものであり、繋ぐもの。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?