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#008 女性扱いと女の子扱いの差分

柔らかい、しなやか、美しい、かわいい -
どれも女性を形容する言葉としてよく使われています。
女性として生を受けた身としては、一人の女性として扱われる事への喜びや楽しみを日々謳歌していますが、それはそこそこ大人の年齢になった今だからそう思うのかもしれないと気づき、今PCに向かっています。

若さを搾取する大人がいる事実

今も昔も、若さに群がる人たちはたくさんいます。
自分の身を守るためにも女性は本当に気をつけてほしいなと思いつつ、自分も20代の頃は【若さ】というみんなに平等に与えられたものに群がる人たちにある種踊らされていたように思います。

ちょっと年上の仕事のできる先輩に
「かわいいね、君と話してると癒やされるよ」
などど言われた日にはまんざらでもない気持ちでした。
今思うと、職場の年下の後輩ないし部下にそんなセリフを吐いている異性はなかなか気持ち悪い物件なので、当時は若さゆえにその気持ち悪さが見えていませんでした。要は未熟だったのです。

取引先や、お付き合いのある会社の方との食事会で「女の子がいたほうが華があっていいから」と若い女性を同席させる話をよく耳にしないだろうか?
社会勉強だといえばそれっぽく聞こえるが、そこで学べる仕事に活かせる事なんてたかが知れています。
ではあれは一体なんだったのか。

女性としてではなく女の子として消費される

ずっとひかかっていた事なので頑張って自分なりに言語化します。

女性扱い と 女の子扱い

一見して同じ意味合いのように見えますが、私が考えるに前者には女性へのリスペクトがあり、後者へはそのリスペクトがない。
その違いに尽きると思います。

自分の過去置かれていた環境ではそれが顕著で、それこそお飾りで打ち合わせに同席することも多かったし、取引先の偉い方にその場でLINEを半ば強引に交換させられたこともあります。(完全にアウト)
社会的に自分の支配下にある女の子のコマの1つとして使われていた訳ですが、その女の子扱いに違和感を覚えたのは30歳を越えてからでした。(遅いぞ)

「私はお金のかからないキャバ嬢かよ」

本業の方に誤解されたくないので言い訳させていただくと、それを生業にしてプロとしてお仕事されている方は本当にすごいと思います。
対価を払って受けるサービスとして見ていて、男性が心地よくなれる居場所を作るプロだなと、勉強になる部分が多いのでキャバクラに行った時はたくさん学ばせていただきました。
ただプロにはそれなりの対価が発生しています。だからあのサービスなのですがそれを忘れて関係のないこちらにそれを求めてくるのは厚かましすぎませんかと。

カラオケで酔っぱらいに「ね〜なんかかわいい曲歌ってよ〜」とか言われた日にはゾワッとします。「うるせーよ」って言いたくなります。
そんなの言われるうちが花よ〜なんて言葉も聞こえてきそうですが、ただ「消費」されているような感じがなんとも嫌な気持ちにさせます。

頭ぽんぽんも同じ。
20代の前半の頃(下手したら10代?)はこれがきゅんとするポイントだったのですが、今これやられたら頭を仰け反って避けます。
大人の女性にこれをやっていいのはその人が本当に心を許した男性だけであって、場合によっては心を許していてもNGな女性多いので本当に気をつけて。。。
これやってもほんまにモテへんから。

自分の置かれている環境によって思考は左右される

うら若い女の子から少し大人になりつつあった私はある時その置かれている環境から出る決意をしました。転職です。

ただ先に書いたような女性への扱いが要因で転職したのではありません。当時いた環境下で自分がやりたかった事が全部成し遂げられたので新しい環境に行こうと思ってのポジティブな転職でした。
(これについてはいつか別で記事書きたい!)

そして運良く決まった転職先は超ホワイト企業という事もあり、色々と現実を目の当たりしました。「あぁ、これが世間の普通なのか」と。
前職の職場が悪いとかそういう話ではなく、そこそこ長く働いたし、いろんな人と出会えたし、自分自身ものすごく成長させてもらえたなと感謝しています。
ただジェンダーに関する事柄については前時代的な考えの人が多かったなと。
そんな人達に囲まれていたこともあり、自分は「社会では女性はこうあるものだ」みたいなものが刷り込まれていたんだなと、環境が変わった(転職した)ことで気づけました。

自分軸での思考回路と意見の押しつけはよくない

こんな男性がダメだ!とか
こんな女性がダメだ!とか
そんな話がしたいのではありません。
いろんな考えの人がいていいと思います。
ただ、他人にそれを押し付けるのがよくないだけであって、ましてや年長者が自分より年下の人にそれをさも当たり前かのように話すのが問題です。

これは男女間だけの問題ではありません。
子育ての場面でも見かけます。
親は自分の子供を養育・保護する義務がありますが、それを履き違えて子供を自分の所有物のように思っている人が一定数いて危ういなと感じます。

こないだ「子供が生まれたらキャッチボールしたい」と言っている方がいたので、とっても素敵な夢だな〜と思ってお話していたのですが、ふと、男の子前提でお話されてますけど、女の子が生まれた場合はどうするんですか?と訪ねたところ
「女の子でもキャッチボールします、やりたくないといわれても」
と言われて唖然としました。要は

・子煩悩感出してるけどそれつまりは自分がやりたいだけ
・子供とキャチボールしてる自分に浸りたいだけ
・子供の意思は関係ない

自分の軸でしか考えてない典型的な思考回路だったので、喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込み、その場をやり過ごしました。

確かに子供は一人で何もできないし、知らないことがたくさんあります。だからといって子供の意思を無視するのは違うし、子供も一人の人間として尊重されるべきだと私は思います。
大人以上に子供は置かれた環境が人格形成に大きな影響を与えるので、自分も子供と接する時には気をつけたいなと改めて思いました。

リスペクトがないといい関係は築けない

女性扱いと女の子扱いについて書くつもりが、なぜか子育ての話にまで発展してしまいましたが、まとめると相手に「リスペクト」を持つ事がどの人間関係において重要だという事です。
尊敬するに値しない人を無理に尊敬する必要ないし、きっとそんな人は自分の人生になんら関わりないので無視していいです。時間の無駄なので。

もし、今の自分の環境が不遇で、周りに尊敬できる人がいない、不満が多いな、と感じているなら、普段付き合う人と環境を変えてみることをおすすめします。

きっと世界が開けます。

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