ある鍵盤弾きの話
今年の正月に兄の家族が、家に来てくれた。みんなでお茶を飲みながら他愛もない話をしていると、英理ちゃんが妻に切り出した。
「今年は、日本歌曲演ろうと思っててな、トコちゃん、この曲知ってるぅー?」
初恋、九十九里浜、荒城の月、Parlez-moi d'amour。フランス語の歌曲以外は妻も知っていて、なにやら二人で盛り上がっている。妻はソプラノをやっているので、白羽の矢が立ったのだろう。
妻
「最近、全く練習してないからなー、できるかなー、でもいい曲ばっかり!」
英理
「せやろー!ええ曲なんよ。フランス語のこの曲は、検索かければ三輪明宏さんが歌ってんの見れるから、チェックしてな。日本語歌詞のやつやりたいねん」
妻
「フランス語の曲かー、日本語の歌詞をあてると節回しが不自然に聞こえるのよねー。歌いにくいから、出来ればフランス語のまま歌いたいなー」
英理
「よっしゃ、じゃあそれで行こぅ、やろうやろう。たのしみー」
そんな感じで、家にあった日本歌曲の楽譜を出し、コピーを取り、音大の課題で弾いたとか、うまく弾けなかったとか、まずは合わせをやりたいなとか、家のアップライトで合わせはやるかとか、トントン拍子で話は転がってゆく。
小西英理と一緒に音楽を作ったことある方ならば、ご存知の感じなのだと思う。英理ちゃんの直感と行動力は人並みはずれた物がある。
今まで妻と英理ちゃんが共演した事は無く、どんな物が出来るのか僕も密かに楽しみにしていた。実現することは無くなったけれど、この日の楽しそうな雰囲気は、家のリビングにまだ残っている。
英理ちゃんと初めて出会ったのは、確か2001年秋。兄が実家に英理ちゃんを連れて来ていて、両親に紹介がてら弟も呼び出された形だった。家に着くと、和やかな雰囲気でお茶を飲んだり、お菓子を食べたりした。
初対面の印象は、きれいで細い感じ、よく喋る、関西弁、頭にまとめて縛り上げたお団子が乗っかっていて、ムーミンに出てくるミイのような髪型。
特に父が英理ちゃんを気に入ったようで、こんなに上ずった調子の父を見るのは珍しかった。母はにこやかではあったが、まだ様子を見ている感じ。
兄ちゃんすごい人を彼女にしたなと、驚きと感心の混じった感情が沸いた。聞けばCOPA SALVOというバンドでピアノを弾いていると言う事らしい。
英理ちゃんの提案で、三人連れ立って、僕らが卒業した小学校まで歩いて散歩をした。天高い秋晴れで、少し夏の気配が残っていた。
横浜にある小さな町の、山の上にある小学校。周りは畑や木々、竹林、寺、墓場などがあり、農村の名残がある場所。
僕は散歩の途中でも、きれいな人だなーと終始圧倒され、緊張しながら話をしたのを覚えている。
小学校の校庭で
「ここがバクちゃんと、茂くんが卒業した小学校やんな」
と何かを確認するように聞いてきた。
不思議なことを聞くものだなと軽く驚き、きっとルーツに興味がある人なのだ、と勝手に納得をした。
その後もボールで遊んだりして、みんなで笑い合っていい日だった。
英理ねえちゃんが、この世から自由になってから一ヶ月と少し経った。今頃は向こうでフェスのひとつやふたつに出演しているだろうか、自由に鍵盤を弾いているだろうか。
弾いているに決まっている。あれだけ鍵盤に魂をぶつけて来た英理ちゃん。今頃は4歳の頃に死に別れた、外科医をしていたお父さんにも会えているかな。
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