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高く、厚く、聳え立つ壁を破った瞬間 『5年周期の終わり』

2021年10月16日、5年周期に終わりを告げる笛が吹かれた

アビスパ福岡は5年おきにJ1昇格を達成するも1年で降格を繰り返す『5年周期』と呼ばれる負のスパイラルに陥っていた。1995年、JFLで優勝し初昇格を果たしたものの、下位に低迷する時期が長かった。そして『5年周期』の始まりを告げる笛が吹かれた。ことの始まりは2001年の最終戦。勝てば残留の可能性があったアウェイでのG大阪戦。直近の試合まで4連敗をしており、勝たなければ降格という状況だった。結果は2-3での敗戦。数的優位であったにも関わらずそれを活かせず、初めてのJ2降格となった

2度目の昇格と降格

2002年、初めてJ2でシーズン開幕を迎えたものの、結果は8位。その後、2003年、2004年と昇格を逃し、松田体制3年目となった2005年。シーズン2位で終え5年振りの昇格を果たす

※筆者である自分は昇格を果たした頃にアビスパを知り、翌年から応援を始めるようになった

迎えた2006年、開幕3試合を全て引き分けで終えたものの、初勝利は9節の新潟戦までかかった。その後、クラブは監督である松田を成績不振を理由に解任、後任に川勝良一が就任したものの、リーグ戦2勝目を手にしたC大阪戦まで、9節の新潟戦から数えて実に5ヶ月を要した(ドイツW杯等による中断期間も踏まえて)。最終的にシーズンは入れ替え戦圏内の16位で終えることが出来たが、入れ替え戦で神戸に2戦ドロー、アウェイゴールの差で敗れ、再び1年での降格となった。神戸を率いて見事昇格に導いた指揮官、アビスパが成績不振を理由に解任した松田浩だったのは有名な話。アビスパにとっては松田に引導を渡される形となった

そしてその入れ替え戦の2戦目で起きた疑惑の判定

あれがもしもゴールだったら、アビスパも神戸も違った道を辿っていたと思う。この試合をテレビで見ていたが、あれはゴールだったと。一生言い続ける

3度目の昇格と降格

迎えた2007年、元西ドイツ代表経験のあるピエール・リトバルスキーを監督として招聘し、1年でのJ1復帰を試みたが、結果は7位。鳥栖に博多の森で初めて敗戦、リーグ戦でも開幕戦は5-0で勝利したものの、その後は3連敗をし、鳥栖相手に1勝3敗という屈辱的なシーズンだった。その後、2008年途中、成績不振を理由にリトバルスキーは解任され、ヘッドコーチの篠田善之が監督に昇格。監督就任後、シーズン終了までホームでのリーグ戦無敗で終えるなどしたが、昇格には届かず8位、翌年も11位で終えた。篠田体制3年目の2010年、開幕ダッシュに成功したものの、4月に4連敗を喫し低迷、その後5月の熊本戦で6-1で勝利し、それを足がかりにチームは急浮上、2度の5連勝や昇格圏内の千葉との直接対決で勝利するなど、リーグ戦3位で終え、再び5年振りのJ1復帰を果たした

2011シーズン、開幕戦を新潟相手に0-3で敗れ、次節の甲府戦での勝利を期待していた矢先、東日本大震災の影響でリーグ戦はおよそ1ヶ月半以上中断。再開後もチームは負け続けた。気づけば開幕から9連敗、先制しても逆転されを繰り返し、守備は崩壊の一途を辿った。10戦目のアウェイ神戸戦をスコアレスで終えて連敗を止めたものの、初勝利まで開幕から14試合目の甲府戦だった。その後多少の復調は見えたものの、劇的な復調とまではいかず、ホーム名古屋戦に敗戦後、成績不振を理由に篠田を解任し、ヘッドコーチの浅野哲也が監督に昇格した。しかしその後も下位にチームは低迷し続け、30節のアウェイ新潟戦で1-3の敗戦により、3度目の降格となった

4度目の昇格と降格

2011シーズン終了後、クラブのOBである前田浩二が新たな監督として就任し、「J2優勝 勝点90」を目標にスタートした。開幕5試合は3勝1分1敗と好スタートを切ったが、その後は低迷を続け、気づけば昇格争いどころか、残留争いに巻き込まれるという事態になっていた。当初の目標とはかけ離れた、「J2 18位 勝点41」でシーズンを終え、前田は40節の大分戦終了後に解任され、アビスパの歴史において最悪のシーズンとなった

2013.2014シーズンとスロベニア人のマリヤン・プシュニクがチームを率いたが、14位、16位でシーズンを終え、退任となった。2015年、「アジアの壁」と呼ばれた井原正巳を招聘し、クラブは中村北斗、末吉隼也、鈴木惇といったかつてアビスパに在籍していた選手の獲得に成功、また夏に前年湘南で猛威を奮っていたウェリントンの獲得にも成功。開幕3連敗と躓き最下位に転落するも、その後は復調を見せ、終盤での8連勝もあり、自動昇格圏内2位磐田と得失点差で3位となり、昇格プレーオフに回ったが、準決勝の長崎戦を1-0、決勝のC大阪戦を1-1、年間順位でアビスパが上だった為、5年振りにJ1復帰を果たした

2016年シーズン、大分から為田大貴、長崎から古部健太、千葉からキムヒョヌン、ロンドン五輪韓国代表メンバーのイボムヨン、川崎から實藤友紀、名古屋からダニルソンを補強したものの、最前線の補強を行うことはなかった。シーズン当初から下位に低迷し、夏場にF東京から駒野友一、横浜FMから三門雄大を補強して改善を試みたが、兆しは見えず、31節の名古屋戦で0-5で大敗し、他会場の結果に1年での降格となった。この年の降格はアビスパ史上初めて最下位での降格だった

5度目の昇格の前に立ち塞がったもの

1年での降格となったが、井原体制は継続され1年でのJ1復帰を目指した。金森健志の鹿島への移籍を除けば多くの主力が残留し、そこに加え、京都から山瀬功治、G大阪から岩下敬輔、名古屋から松田力らを補強し、開幕前の評判も高く昇格候補に挙げる声も多くあった。前半戦を首位で折り返したものの、28節の長崎戦。この試合がターニングポイントだった。2位福岡、3位長崎、勝点差は11。福岡からすれば引き分けでも悪くない状況だったが、0-1で敗れ、そこから成績は急降下、次節の名古屋戦も1-3で落とし、15試合でわずか4勝しかできず、長崎にひっくり返され、最終戦でも名古屋にひっくり返され、4位で終えプレーオフに回ったものの、準決勝の東京V戦は1-0で勝てたが、決勝の名古屋戦0-0でドロー。年間順位で名古屋が上だった為、名古屋が昇格した

またしても起きた疑惑の判定。ウェリントンのヘディングはオフサイドだったのか。仮にVARが導入されていれば、オンサイドだったのではないか。ゴールが認められていれば、きっと違ったことになっていたかもしれない

1年での昇格を逃し迎えた2018年。多くの主力が移籍し、その穴をレンタル組で補う形でシーズンは始まった。18節を終えた段階で首位に立ったものの、その後はプレーオフ圏内を彷徨い続け、40節のアウェイ町田戦での逆転負けで自動昇格の可能性が消滅、最終戦のアウェイ岐阜戦でスコアレスに終わり、まさかのプレーオフ圏外の7位で終えた。4年に渡って続いた井原体制は終わり、多くのレンタル組が移籍元に戻り、2019シーズンより新イタリア人のファビオ・ペッキアが就任した

ところが、アビスパサポーターにとってイタリア人の就任は悲劇の序章だったことは言うまでもない。開幕から下位に低迷し続け、ラグビーW杯等の影響もあり、博多の森陸上競技場を使用しての試合が半分近くを占め、呪いの如く勝てない、点が取れない、の負の連鎖は続いた。6月、本拠地レベルファイブスタジアム開幕戦の大宮戦を終えた翌日、まさかのイタリア人が「家庭の事情」と言って突然帰国。その後ユベントスU23の監督に就任するなど、「家庭の事情」とはなんだったのかと。思った。その後ヘッドコーチの久藤清一が監督に昇格したが、7月にペドロジュニオールがFIFAの規定に引っかかり、加入1週間で契約解除となるなど、最後の最後まで散々なシーズンを過ごし、J3降格圏内とは勝点4差の16位でなんとか残留することが出来た

5度目の昇格

2019年の最終戦後、社長は「大改革」を宣言し、歴史に残る大型補強をシーズンオフに敢行した。まず監督に前年水戸で大躍進を遂げた指揮官、長谷部茂利の招聘に成功、その後、「長谷部チルドレン」と呼ばれる村上昌謙、福満隆貴、そして「長谷部サッカーの申し子」今のアビスパには絶対に欠かせない存在となった前寛之の獲得、その他、広島からエミル・サロモンソン、大宮からフアンマデルガド、川崎から遠野大弥、柏から上島拓巳、京都から重廣卓也、神戸から増山朝陽等の補強に成功した。開幕戦の北九州戦勝利後、コロナの影響で4ヶ月中断、中断明け、勝ちと負けを繰り返し、キャプテン前のコロナ陽性により、絶対的な核を失ったチームは勢いを失い、シーズンの3分の1が終わった時点で、当時首位だった長崎と勝点17差をつけられ、「今年はダメなのか」そんな空気もサポーター内にあった。だが、キャプテン前の復帰後、チームは恐ろしい勢いで勝ち続け、気がつけば昇格圏内にいた長崎や北九州が大失速をし、後半戦頭の長崎、北九州との直接対決も制し、たった1ヶ月で17差あった長崎との差をひっくり返し、その後、徳島も捲り、クラブ記録の12連勝を達成し一気に首位に登りつめた。その後徳島に首位を明け渡したが、長崎との激しい鍔迫り合いを制し、41節の愛媛戦に勝利、長崎が甲府と引き分けたことで5年振りのJ1復帰を決め、最終戦の徳島戦勝ったものの、得失点差で徳島に及ばず優勝を逃した

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サポーター生活において、初めて昇格を現地で見届けた。平日開催だったにも関わらずホームのような雰囲気だった。ものすごく寒かったが、忘れられない1日になった

『5年周期』を終わらせる

2020年の最終戦後、社長が言った「改革は終わっていない」この言葉に自分自身も胸を踊らせ、どんな補強が待っているのだろうか。そう期待していた矢先、守護神セランテスの契約満了。これにはさすがに驚いた。しかしJ1で生き残る為に明白な課題があった。J2が42試合制になって以降、失点29という歴代2位の固さを誇った守備に対して、得点はわずかに51に留まった。過去J1では得点が取れず、守備が崩壊し、降格というのがいつものパターンだった。その為、攻撃陣に外国人枠をある程度使うことを考えると、セランテスの契約満了は仕方ない部分もあったのかもしれない。賛否両論はあったが結果的に村上が守護神として大きく成長を遂げることが出来たと思う

「改革は終わっていない」その言葉を信じ、オフの補強を見ていたが、レンタル組の遠野、松本、上島、福満、増山といった所はレンタル元、もしくは他のクラブへと移籍したが、サロモンソンだけは完全移籍での獲得に成功した。その後、横浜FCから志知孝明、鳥栖から宮大樹といった「長谷部チルドレン」や、大分から渡大生、鹿島から奈良竜樹、松本から杉本太郎、長崎から吉岡雅和(忖度抜きで吉岡の獲得はガチで驚いた)、ベルギーからジョルディ・クルークス、中国からジョン・マリ、Jリーグでも実績があるブルーノ・メンデス等の補強に成功した。そしてシーズン開幕直前、誰も予想していなかった補強が待っていた

金森健志選手 サガン鳥栖より完全移籍加入のお知らせ

平日の朝9時頃のリリースだった為、仕事が手につかない人達も多数いたと思う。自分もその1人だった。本人のコメント、そしてインスタの投稿を見て、こうコメントした

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2015年、当時高校3年生だった自分は初めてネーム入りユニを買った。誰にするか迷っていたが、その時の背番号7番にすると決めた。それが金森だった。鹿島から鳥栖へ移籍した時、ほとんどのアビスパサポーターは怒りに満ちていたと思う。鳥栖からアビスパに移籍、逆も然りだが、どういう意味かは本人は分かってるはず。それでもアビスパに帰って来たい。アビスパからオファーが来た時、即決だった。その言葉が嘘じゃないと信じて今季ここまで見てきたけど、逞しくなった姿が博多の森で見ることが出来ている。金森電撃復帰が決まった時はあまり実感というかこんなことは言って来なかったが、帰ってきてくれてありがとうという言葉に尽きる

話を元に戻そう。シーズン開幕直後はJ1の強度やスピードに慣れず、大丈夫か?って思う試合も続いた。4節の徳島、5節の鹿島を連勝し、6節の鳥栖戦をスコアレスで終えて、6試合で勝点8を手にした。この時自分の中で、「もしかしたら今年はいつもと違ったシーズンになるのでは?」そんな自信が多少あった。ホーム札幌戦に敗れアウェイ3連戦のうちG大阪戦、C大阪戦とドローで終え、ACLの関係で急遽組み込まれた川崎戦は負けたものの、10節のF東京戦を皮切りにリーグ戦6連勝というクラブ記録も樹立、その後横浜FC戦で引き分け連勝がストップした後、大分戦からまさかの5連敗で中位へ。オリンピック中断明けの広島戦、1人少ない状況で最後の最後で追い付きドロー。これで息を吹き返して、C大阪戦は終了間際に勝ち越しゴール。名古屋戦には敗れたが、続く川崎戦で1-0で勝利し、川崎の無敗記録を止めた

試合終了の笛が鳴った瞬間、まるで優勝したかのような空気は忘れられない。それにしてもクルークスのゴールは凄すぎた

その後も徳島、鹿島と3-0で勝利し、湘南に引き分け後、鳥栖を博多の森で3-0で粉砕

現状の今季のベストゲームを選べ。と言われたら川崎戦か鳥栖戦かになるのではなかろうか

『5年周期』は終わった

清水戦、神戸戦と連敗したものの、他会場の結果により、アビスパのJ1残留は決まった。本来なら勝って自力で残留。というのが理想だが、他力本願なところもアビスパらしい。むしろ今季1番アビスパスタイルを貫いたものは?と聞かれたら、残留決定の仕方が他力本願なところ。と答えるだろう

これを書いた段階では残り6試合ある。当初の目標である「勝点50」まではあと4。「10位以内」というところも現在8位であるので、十分達成可能な数字である

最後に

2006年からアビスパを応援するようになり、年を重ねる事にスタジアムに行く回数が増え、現在自分の生活にアビスパが欠かせない存在である。入れ替え戦で勝てずに降格した時、開幕9連敗で下位に沈み続け降格した時、カップ戦では光が見たがリーグ戦では歯が立たたずに降格をした時、3度自分は降格を経験したが、J1残留を経験するのは初めてである。J1に復帰する度に跳ね返されてきた高く、厚く、聳え立つ壁を超えた瞬間。それはすなわちJ1残留だった。自分が見たかった1つの景色はまずはこれだが、本当に見たい景色はこれではない。アビスパがACLに出場する時、そしてリーグ戦、カップ戦、天皇杯で優勝する瞬間を見たい。それは誰も見たことがない景色であり、これから見ることになる景色だと思う。近い将来、それが実現される日が来ると信じて



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