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対アビスパ

約1週間振りの更新です。3回目は【対アビスパ】というテーマで話していきたいと思います。

アビスパとの出会い

まずはここから話していきます。自分がアビスパを知ったのは14年前の2005年11月です。多くの人の場合、誰かにスタジアムに連れて行ってもらって、そこからハマっていった。というのがよくあるパターンだと思います。しかし自分の場合はそうではありません。

14年前の土曜日の夕方にTVQで「スポスタ」という番組があったのを覚えている人もいるかと思います。その番組内でアビスパの試合結果が流れてきました。そこで目にしたのは、vs甲府(小瀬) 5-0 というものでした。小学校2年生だった自分は当時、福岡のスポーツと言えばホークスぐらいしか知らず、アビスパというサッカーチームがあることをその時初めて知りました。「アビスパっていうチームがあるんだ。地元のチームだし、応援してみよっかな」そんな思いで翌年から応援するようになりました。

初めての博多の森球技場

2007年8月の愛媛戦。この試合が初めてアビスパの試合に行き、博多の森球技場に行くという楽しみ、生で体感するアビスパの応援、色々な思いがきっとあったと思います。1つ覚えているとすれば、物凄く気温が高く、バックスタンドで座って見た。それだけは明確に覚えてます。試合結果ももちろん覚えてますよ。光平とアレックスのゴールで2-0で勝ちましたよ。

北九州という土地

なんでこんなタイトル?と疑問を持つのも無理ないでしょう。北九州というワードが何を意味しているか。意外かもしれませんが、北九州は自分の地元です。今は北九州市にもギラヴァンツが存在し、福岡県には2つJリーグのチームがあります。で、何が言いたいかと言うと、今から話す自分が中学や高校の時に経験したことについてです。

先述した通り北九州市にはギラヴァンツがあるため、どうしてもアビスパの話題が表に出ることはほぼなかったです。ましてや自分の周りにアビスパサポーターもいませんでした。自分が中学生、高校生の頃は2010年4月~2016年3月まででした。特に中学生の頃は大変でした。2011年はJ1に居たものの、開幕9連敗や1年での降格など屈辱のシーズンでしたね。2012年はJ2に戻って全く勝てず、あわやJFL降格寸前までいってしまいましたね。それもあってよくこんなことを言われてました。

「アビスパ弱いよね」「鳥栖とか北九州の方が強いんやないと?」

はっきりいって怒りや屈辱を通り越した何ものでもなかったですね。ましてや「鳥栖以下」というのが最大の恥でしたね。言って来た奴らをぶん殴ろうかと思いましたけどね。まぁ、後々話すと思いますが、自分がコールリーダーを目指そうと思わせたのはこの瞬間でしたね。いくら弱かろうが、アビスパを強くして、コイツらを必ず見返す。その一心でしたね。

2度のターニングポイント

今年でサポーターとして14年目を迎えましたが、2度のターニングポイントがありました。

1つ目は2006年の入れ替え戦です。試合内容等は省略させてもらいますが、結果として2戦合計1-1。アウェイゴールの差で神戸に負けて1年でJ2降格となってしまいました。博多の森での第2戦はNHKで放送があったのでテレビで見ていしました。試合終わった時に何故かこんなことが思い浮かびました。「きっとアビスパは強くなるだろうな。来年も応援しよう」小学校3年生のクソガキがなんでこんなことを思ったのか未だに分かりませんが、間違えなく今のアビスパサポーターとしての基盤の1つであることは間違えないです。

2つ目は2013年の経営危機です。これに関してはほとんどの人達が内容を把握してると思うので特には触れません。経営危機の報道があった直後の鳥取戦。元々行く予定ではなかったんですが、今まで応援してきたクラブが消滅するかもしれない。そんなことがよぎり、スタジアムに行かないという選択肢はなかったです。試合は1-1でしたけど、「もっともっとこのクラブを後押ししたい」そう思わせてくれた瞬間だったし、経営危機があったからこそ今みたいにほぼ毎週試合に行くようになったきっかけでしたね。

大分にやってきて①

高校も卒業し、大分県の大学に進学することになり、多少の不安もありました。それは勘のいい人は分かるかと思いますが金銭面です。博多から大分は特急で約2時間、ネットきっぷを使っても安くて往復5000円。しかし、何を勘違いしたのか「大分なら近いし、行けるだけ行こう」狂った人間の発想とは恐ろしいものです。最初は色んな人達から驚かれましたよ。だけど自分としては「愛するアビスパのためなんだから当たり前ですよ」そんな風な返しをしてましたね。もちろんそれは今も変わらずですが。

大分にやってきて②

大分と言えば大分トリニータ。そう思うJリーグ好きの人達は多くいるかと思います。大分県のスポーツと筆頭はやはりトリニータだなと大分に来てすぐ感じましたね。大学にも大分サポをチラホラ見かけますし、個人的に関わりのある大分サポも多くいるのも事実です。そこでやはり意識するのは「大分だけはぶっ潰す」そういう意識が芽生えてきました。

大分との対戦成績は3勝6分9敗(2019年7月現在)。唯一ダービーで負け越している相手です。相性の悪さは誰が見ても一目瞭然です。2017年の開幕戦、思い出したくもないあの屈辱的な試合。最悪の試合でしたよね(試合終わってブチ切れてここでは書けないことを言ったことだけは覚えてます)。その後の2試合も引き分けと負けという屈辱を喫し、あの試合を迎えることになりましたよね。

初めてアビスパで泣き崩れた試合

2018年9月1日。18時キックオフにも関わらず11時半にレベスタに着きました。暇でしたよ。正直言うと。誰もいなかったんで。スタバで時間潰してスタジアムに戻ってきて、知人の大分サポに会ってこう言い放ちました。「悔し涙を流して大分に帰る覚悟をしとけ。今日はアビスパがロスタイムにゴールを決めるから」結果的に予言は的中しましたね(ちなみにその大分サポの知人は本当に悔し涙を流して大分に帰りました。)

何故あんなことを自信を持って言えたかというと、実は試合の前の日からある予感がしてました。「ロスタイムに歓喜が訪れる。10数年前の鳥栖戦で山形恭平がロスタイムでゴールを決めた時の再来かのように」それを信じてたし、他のアビスパサポの人達も同じようなことを言っている人達が多かった気がします。レオミネイロがゴールを決めた瞬間。叫びすぎて気がおかしくなり、ピッチに飛び降りかけましたけどね。この時点で既に泣きそうだったんですが、すぐに時計を見て、まだ1分残っていたので気持ち切り替えましたね。最後のコーナーキックは本当に怖かったですよ。試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、今までの対大分という思いなのか、その場で泣き崩れましたね。周りはびっくりしてましたよ。何せ昇格しても降格しても1度も泣かなかったような人間ですから。

この試合は自分にとってベストゲームであり、これを上回る試合は今後ないのかなって思ってます。

最後に

最後の方は若干脱線気味になってしまいましたが、今回はここまでとします。後半戦1発目のアウェイ町田でチームは勝ちました。補強という面でも、ペドロジュニオール、村田の前線2枚を獲得し、得点への意識を強めたいという表れなのかと思ってます。残り20試合、残留に向けて毎試合120%以上の力をそれぞれが出し、勝点3を掴む。それに尽きると思います。

出来る出来ないじゃないです

やるかやらないか

降格したくなければやれ


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