「小説家になろう」を学ぼう


9日目@なろうアドベンター
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みなさんは「小説家になろう」というWebサイトをご存じでしょうか。
"ご都合主義的展開の、似たような作品が溢れたWeb小説サイト"だと思っていますか?
自分自身ではあまりサイトの文化を知らないけれど、小説、コミックス、アニメ等のメディアを侵食する作品群を複雑な気持ちで見つめていたりしませんか?

今回はそのような人に向けて「小説家になろう」がどういうWebサイトで、その作品群がどういった精神で生み出されてきたものかを綴ってみたいと思います。

「小説家になろう」概説

「小説家になろう」は、簡単に説明すると"アマチュア作家に向けて自作のオリジナル小説を執筆・発表するプラットフォームを提供するWebサービス"ということになります。
近年、このサイト経由でプロ作家としてデビューした人も多いですが、サイトそのものには収益を得るシステムがないため、基本的にはプロ作家が収益を得るために作品を発表する場ではありません。

Web小説の歴史

Web小説の文化は、2000年代に急速にインターネットが一般化し始めた当時から存在していましたが、その発展の途上にはいくつかの潮流がありました。

最初の潮流を生み出したのは、個人サイトでそれぞれに発表されていたWeb小説を横断検索できる「楽園」等のサービスの存在です。
これによって、Webというプラットフォームは書き手と読み手を繋ぐ場として機能し始め、アマチュア作家の作品発表のハードルを下げました。

とはいえ、個人サイトを運営することはそれなりの労力を要する作業であり、読み手を引き込む導線もさほど強力ではなかったため、当時のWeb小説界隈でコンスタントにPVを確保することは簡単ではなく、今ほどWeb小説の存在感は大きなものではありませんでした。

一方、より簡単な作品発表の場として機能していたのが、当時日本のインターネット文化の中心にあった匿名掲示板群、2ちゃんねるでした。

2ちゃんねるで当時発表されていた作品は、主にSSと呼ばれていました。
これは小説ジャンルでいうところのショート・ショートにちなんで用いられた呼称でしたが、作品発表のハードルを下げるという場の役割をよく表した呼称だったと思います。

SSのジャンルには流行があり、エヴァンゲリオンや涼宮ハルヒ等の二次創作からドラゴンクエストの世界観をベースにした勇者もの、やる夫等の2ch文化と密接に絡んだものなど、多様な文化が花開き、まとめサイトを介してライトなネットユーザにも広く認知されるようになりました。

しかし、2ちゃんねるでの投稿は原則が匿名であり、そのことが投稿のハードルを下げる一方で、作家が認知を得ることを妨げ、文化としてのWeb小説の発展の足枷となっていました。

個人サイトを運営する場合は運営コストと読者を獲得するための導線に苦労し、2ちゃんねるで作品発表する場合は作家としてのキャリアを積み上げることが困難、というような状況はWeb小説に限らず、ネットでの情報発信全般に共通した悩みでしたが、この状況は2000年代中頃に発生し始めたポータルサイトの隆盛によって激烈な転換を迎えます。

2004年3月 「mixi」誕生
2004年4月 「小説家になろう」誕生

ほぼ同時期に誕生している2つのサービスですが、「mixi」は個人Blogを集約する役割、「小説家になろう」はWeb小説を集約する役割を担ってプラットフォームとして成長してゆきました。

「mixi」は自身の経営判断の誤りもあって、その後Twitter等の外資系SNSにプラットフォームとしての役割を奪われてゆきましたが……。

ポータルサイトに集約された発信者は、読者に対する強力な導線を獲得でき、サイト内で自身のアカウントに紐づけてキャリアを積むこともできるようになりました。
読者もあちこちに分散した情報を探す手間を省いてポータルサイト内で効率的に情報を摂取できるようになりました。

ここまで、サイトの成り立ちについて簡単に綴りましたが、ここでは「小説家になろう」の出発点が決して"似たようなご都合主義作品を量産するサイト"を企図していたのではなく、時代に要請された無色の作品発表のプラットフォームだった、ということを知ってほしいと思います。

ランキングシステムの毒

では、なぜ「小説家になろう」から世に出てくる作品の多くに共通的な特徴が出てきてしまうのか。
その原因は、サイトのUIとしてランキングを表に出し過ぎたためだと私は考えています。

「小説家になろう」及び投稿作品を閲覧する姉妹サイト「小説を読もう」では、作品にリーチするための手段として様々な検索手段を提供してはいますが、やはり一番手っ取り早く作品を選別する手段として、ページの目立つところにランキングページへのリンクが提供されています。

ランキングは「日別」「週別」「月別」「四半期別」「年間」の種別があり、PV等の情報によってリアルタイムに更新されています。

こうしたポータルサイトのUIとしてランキングを提供するという考え方は一般的なことではありますが、ランキングを前面に押し出すと、2つの弊害が発生します。

一つは、作品の多様性が損なわれること。
流行ジャンルが一目瞭然に可視化され、受け手も同じようなものを求めるように誘導されるようになり、日の目を浴びないマイナージャンルが細っていくことになります。
個人的には、ニコニコ動画が衰退した大きな原因の一つが、ランキングによって歌い手、踊り手といったジャンルにコンテンツが先鋭化してしまったことにあるのではないかと考えています。
一方、全体のデイリーランキングこそあるものの、タグごとの人気順並べ替え機能が有料アカウントにしか提供されないpixivは、これによって作品の多様性が保たれ、結果としてポータルサイトとしての寿命を延ばしているのではないかと思います。

「小説家になろう」の作品が似たようなものばかりになる一つの原因も、ランキングが主な読者の導線になっている点にあると思われます。
なお、同じような作品が増えやすいという性質のプラットフォームにおいても、流行ジャンルの緩やかな変化はあり、そのあたりは後日「なろうランカーの歴史」という形で記事にしたいと考えています。

ランキングのもう一つの弊害は、衆愚の毒に侵されやすいということです。
一般社会では、人は見た目や社会的地位で区別され、発言力に重み付けをされますが、インターネットという機構は、インテリと非インテリの発言の重みを等価にしてしまうという機能を持っています。

結果、インターネット上で数字という力を持つためには、数的に優位な非インテリの支持を得る必要があります。数が直接金銭に結び付くYoutuberの世界ではこうした傾向はより顕著ですが、「小説家になろう」においてもよりインスタントでわかりやすい快感につながるコンテンツが数字を得る状況が継続的に発生しており、作品が"ご都合主義"という批判にさらされる原因になっています。

ところで、"ご都合主義"と批判され、公の場では強く支持を表明する声の少ないなろう作品群ですが、コミックやアニメの展開が続いている現状を見るに、コミュニティの批判はやり過ごしつつ、ひっそりと作品を支えている層というのは意外と多いのではないかと思われます。

スコッパーという機能

なお「小説家になろう」のランキング弊害については、利用者の間でも早くから認知されており、これを緩和する働きを担うスコッパーと呼ばれる人たちが存在します。

彼らは、ランキングに登場しない作品を地道に読み進め、隠れた良作を探しては仲間内のコミュニティで報告する活動を行っています。
その作業を、砂の山から宝石を探す行為になぞらえてスコッパーと呼ぶわけです。

スコッパーが探してくる作品の中には、いわゆる"なろう的作品"とは毛色の異なる作品も多くありましたが、近年は"なろう"="ご都合主義"のイメージが強くなりすぎてしまい、そうした作品の投稿自体が少なくなってきているように感じています。

また、そういった作家が商業デビューする際は、なろう出身であることはそれほどプッシュされず、ライトノベルレーベルと一般文芸レーベルの間に位置するような立ち位置でデビューしていることが多いです。

なろう文化Q&A

ここからは、なろう作品群にふれた人がよく感じるであろう疑問点についてQ&A方式で綴ってみようと思います。

Q1.いくらジャンルに偏りがあると言っても、パクリと呼んだ方がよいほど似た作品があることは問題にならないのか
A1.「小説家になろう」の書き手には、人気アニメの二次創作から創作活動を始めた人も多く、気に入った作品のベースを継承しつつ、一部分を自分好みに書き換えるというアプローチが行われる土壌がありました。
特に人気ジャンルにおいては、模倣の模倣の模倣といったことが繰り返して行われる中で、模倣を当たり前の行為とする感覚が強く育ってゆき、読者側も異世界転生系の作品を読む場合には「学園に行って規格外の才能に驚かれる」「から揚げを作ったら異世界の人間が泣いてありがたがる」といった定番のお題をどのような(微妙な差分の)味付けで調理するか、といった視点で消費していたりします。
こうした場合、模倣される側も基本的に別のなにかを模倣していることが多いので、誰が誰を模倣したというような考え方をするよりは、模倣が繰り返される中で、よりランキングに特化した作品が生成されていくというシステムの一部に作家が参加するというようなイメージが近いと思います。
こうした考え方は、ソフトウェアのコードを公開して利用者に独自の派生を許容するオープンソース文化の感覚に似ています。
ただし、当然のことながら作家のすべてが模倣を良しとしているわけではなく、しばしばコミュニティ内で盗作に関わるトラブルも発生しています。


Q2.なろう作品のタイトルはなぜ状況説明的なのか
A2.これは「小説家になろう」で作品を読者にリーチさせるための登竜門、日別ランキングにのるためには、タイトル時点で読みたいと思わせる必要があるからです。
また、作品発表のハードルが低いプラットフォームの性質上、特定のシーンを書きたいだけ、という動機で作品を書き始めた作家は、書きたいシーンをそのままタイトルにすることが多いです。
この辺りの事情はTwitterでバズったイラストを発端にした漫画作品にも共通する特徴かと思います。
なお、こうした"特定のシーンを書きたかっただけの作品"は、そのシーンに到達した後に筆が止まって連載が中断されることが多いです。
こうした背景から、なろう作品には出版されているにも関わらず、未完のまま中断される作品が大変多いですが、読み手側にも読みたいシーンだけを手軽に摂取したいというニーズがあるのか、こうした作品の出版が後を絶ちません。

まとめ

・「小説家になろう」はWeb小説を集約するプラットフォームとして誕生したが、ランキングの弊害によってコンテンツが偏ってきた
・そうした作品がメディア展開においては数字を獲得するという状況もあり、企画サイドもその状況をよしとしている節がある
・コンテンツの先細りを緩和するスコッパーという働きを担う人々もいるが、なろう的作品群のイメージが強まった結果、投稿作品自体の偏りが強まっていく流れにある

昨今、特にメディア展開を企画する側が「数字とれるならなんでもいいじゃん」という感じで開き直ってきたなという感覚もあり、こうした傾向にはより拍車がかかっていくのではないかと思いますが、歴史的経緯を見ればそれだけではなかったんだ、ということを知って欲しくて今回記事を書きました。
あんまり擁護になるようなことを書けてないような気もしますが……。
「小説家になろう」については、今年のアドベント記事の中でもう一度、ランキング作品を振り返る内容で書いてみたいと思っていますので、そちらもよろしくお願いします。



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