9割の違和感は、だいたい正しい直観。
正確には直観と直感は異なるものらしい。「直感」は感覚によって瞬時に判断をする場合に使われるそうで、これはほぼ反射神経のようなものかもしれない。一方で「直観」はこれまで自分の経験知、潜在的に蓄積された知識を脳がデータ処理して出力しているものらしい。
参考は下記の記事より。
というわけで、本題へ。
そういった意味では、今回とりあげるのは「直観」の話だ。
仕事をしている中でも、日常生活を送っている中でも、例えば人間関係においてもそうだし、あらゆる場面で直観が働くことがある。私が生きてきた中で、何度となくこの直観は働いてきた。
このままだとマズイなという危険察知能力にこそ、この直観が働きやすい。もしかするとポジティブな直観も日常的に使いながら、自分で日々の様々な判断をしているものなのではないだろうか。論理的に整理して熟考することもあるが、案外と直観に頼ることも多い。
さて、この危険察知能力の直観こそ、個人的には「違和感」というやつじゃないかと思う。なんだか気持ち悪いと感じる、あの感覚だ。もしくは、コミュニケーションをしていく中で感じる「おや?」というタイミングだ。
この直観は経験上9割、いや、9割9分当たってきた気がするのだ。
中には、もしかしたらやばいかも…と思いながら、逃げる算段だけとりつつ、途中まで進んでみるという賭けに出たこともあるが、だいたい良い結果にはならない。
その違和感というのは、ほんの少しのコミュニケーションの中に見える「ほつれ」のようなものだったりするのだが。
たまたまこのコラムを読んでいる奇特な方も経験があるかもしれない。だいたいヤバイと感じる時の結果は、こんな感じだ。
都合よく相手を誘導しようとしている時
自分の言うことを聞かせる洗脳をしている時
何らかの利権を守ろうとしている時
そう、いずれにしても相手に主権を与えたくない、自分の思うがままコントロールしようとしている感覚がある時などは、案外と敏感に感じ取れてしまう。この感覚を持つ人は私だけではないだろう。
そもそも私は「本来、他者はコントロールできないもの」と考えている。コントロールできるのはあくまで自分自身だ。自分以外の他者をコントロールしようなんて、やばいやつだと個人的には思っている。だからか知らないが、自分の価値観防御システムが警告を発しているのかもしれない。
時々、マネジメントするということを、相手をコントロールすることだと大きな勘違いをしちえる経営者や管理職がいることに驚きを隠せない。だが、残念ながら存在する。まぁ、それも仕方がない。だって人間だもの。それも、人間の弱さが成せるワザだと思っている。
人の弱さ。そう、この場合は「自分にコントロールできない不確定要素を身近につくりたくない、自分が主導権を握り続けたいから」という類の弱さだと思う。
だいたい人をコントロールしてやろうというのが、好かない。
いったい何様のつもりだろう。
今回は人間関係や、仕事上や生活上のコミュニケーションの中から感じられる違和感という直観を取り上げたが、大なり小なりそういった直観のアンテナは日ごろから警戒システムとして働いてくれているのだろう。感謝だ。
それにしても「9割の違和感は、だいたい正しい直観」だから、その感覚は大事にしてほしいと思う。
以下はXでもつぶやいたのと同じだが。
この違和感が職場や、何らかのコミュニティで起きた場合、いつでもコミュニケーションできる距離感にいて、信頼関係があれば、すぐに時間を設けて確認し合うことができると思う。やばいなら「それやばいよ」とツッコミを入れることはやぶさかではない。
これは流行りの「心理的安全性」というやつとも、密接につながっている話だと思う。
これができないと、問題がどんどん大きくなって、はては不正などのコンプライアンス違反につながってしまうのだ。
今、完璧にできていなくとも、違和感を率直に伝えられる関係性をつくろうと試行錯誤することが重要なのではなかろうか。
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