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わたしこれから、どうしたい?~復職から3年経過して~

職場の人間関係でメンタルを壊し適応障害と診断され休職を余儀なくされた。4年前の秋。


130日後、無事に復職を果たす。


でも、「めでたしめでたし。」とはならなかった。想像以上に、しんどい日々が待っていた。


復職した私を待っていたもの


疲れた。
何?体に鉛でも乗ってるの?
もう無理かも。

初日の率直な感想。
復職して新たな気持ちで頑張るぞ!
とか全く考えられなかった。

復職した3年前、まずびっくりしたことは、体力がとにかくガクンと落ちていたこと。


職場に行くだけで息切れ状態。一応休職中には散歩をして体力をつけたつもりだった。

復職初日は前の職場だった。内心かなり戸惑っていた。部署異動はないのだろうか。
他の社員は私のことを「休職者」というラベルを貼り、腫れ物を触るように遠巻きに見ていた。
多分扱い方がわからないのだろう。
非常に居心地悪かった。もう帰りたい。
それでも何人かは「おかえり」とか何事もなかったのように接してくれたのが救いだった。

普通に話してくれるのがベストだと、声を大に出していいたい。

久しぶりに指定の制服を着ようとして、また驚く。
スカートがきつい。ファスナーがしまらない。
10kg…この数ヶ月でありえないくらいに太っていたのだ。何とか息を止めて無理矢理履いた。

まぁ、その内に落ち着くだろうとこの時は素知らぬふりをした。



主治医との相談の上、しばらくは時短勤務。もちろん残業や出張もなし。会社にそれらが書かれた診断書を提出すると、翌日から部署異動の辞令が出た。
どうやら初日は慣らす意味で前の職場に配置されたらしい。
当時混む電車、朝晩の通勤時間帯の電車に乗ることがとにかく辛かった。とはいえ車を持たない自分には電車を乗らないという選択肢はなく、徒歩や自転車では通える距離ではなかった。
幸いにも自宅から路線が二つあった。ルートを変更し、自宅から最短距離で通える部署に配置してもらえた。
というのも表面上の理由は通勤時間の負担が大きいということになっていた。後々変な角が立たないようにと人事担当の方の配慮でもあった。
実際のところ30分以上通勤時間は短くなった。

だが、本当の理由は直属の上司との折り合いが悪かった。職場は機械音しかしない無機質な雰囲気。他に社員は数人いたにも関わらず、その上司はやたらと私に対してだけ威圧的で、生き地獄を常に味わっていた。もう二度とあんな思いはしたくなかった。

上司と離れられる。よかった。よかったあああ。
あの時の安堵感は今も忘れられない。ガッツポーズしたいくらいだった。




 朝起きて決まった時間に会社に行く

なんてことない、たったそれだけのことなのに、くたくた。常に緊張感に包まれていた。今までに感じたことない疲労がつきまとう。
16年の業務経験はあったが、130日間の休職で仕事の大半を忘れていた。無論新人でもないのでマンツーマンで教えてもらえるわけでもない。

なけなしのプライドは全部捨て、頭を下げて誰構わず仕事を0から覚える覚悟だった。


幸いにも、新しい職場では人に恵まれ、雑に扱われることなく、丁寧に教えてもらえた。

復職して2週間経過したあたりから、少し気持ちに余裕がもてるようになり、時短勤務では物足りなくなっていた。
期間にすると1ヶ月の時短勤務だったが、私には丁度良かったのかもしれない。
時短勤務にすると、私の場合給与は2割減額。

給与明細書を見て恐怖に震え上がったことを、今でも覚えている。桁が一桁足りないのだ。
泣く泣く貯金を取り崩したことは言うまでもない。このままじゃまともに生活が出来ない。
とは言え働けただけで一歩前進と言いかせてはいたが、かなり苦しかった。

挑戦をやめない

復職して2か月経過した頃。
少し余裕が出てきたのか、資格試験を受けたいと思えてきた。病気になる前にとある資格を休職前に受験したものの、全く身が入らず残念な結果になっていた。

今なら大丈夫かもしれない。

長いことしまっておいた参考書を開いた。幸いにも近くの会場で受けられたこともあり、気楽に挑むことにした。

休職中は文字がまともに読めなかった。「文章が普通に頭に入る!」
なんてことないことも、特別に嬉しかった。
試験当日、緊張から少し体調に不安を覚えたものの、無事合格。
少しだけ自分に自信を持つことができた。



復職から半年経過した秋


仕事にもだいぶ慣れてきた私は、あることに気づいた。

(え? 
私、全然……痩せてない!!なんで?)

仕事に戻れば生活リズムも整い、自然と痩せるだろうなんて、現実はそう甘くない。
それもそのはず。一切運動らしきものはしてなかった。
通勤時は歩いてはいたが、さほど距離もなかったので運動とは呼べない。
現状維持……
増やさなかったのは唯一の救いだった。だが、今まで着れた服が本当にキツくて息を止めないと入らないくらいの状況だ。油断にすると、はきちれる。笑えない。
これはそろそろ真剣に考えないといけない。
と危機感を覚え、ジムに通うことに決めた。

これまでもジムに通ったことはあったものの、いつでも行けるプランで先延ばししがちだったし、荷物がとにかく多くてめんどくさいなど、理由をつけてサボりがちだった。

行くなら仕事終わりの時間帯のみ。タオル等はレンタル。着替えのみで通える手ぶらプラン。そんな私のわがままに応えてくれるジムを見つけ即入会を決めた。

決めたジムマイルール

苦しくなるまではやらない。
負荷は少しずつかける。
結果をすぐ求めない。

これだけは守るように徹底した。

ジムでやるメニューは筋トレに走り込み。とにかく筋肉量を増やそうと意識して、インストラクターにも相談し、食事にも気をつけた。

プロテインも飲んでみた。

半年くらいでようやく体重が落ちだし、2年かかったが10kg減に成功した。ゴムじゃないズボンも堂々履ける。嬉しかった。リバウンドはもちろんなし。
合わせて体力もだいぶついた。
ジムに行くことはリフレッシュの一つにもなり、今もまだ続けることができている。自信がついたのかメンタル的にも強くなった気がした。
私は決して無理しない。でも少しずつ、変わりたかった。


復職して1年経過


数日前から腹部に違和感があった。


酷く皮膚がかゆい。
我慢出来ず、かいてしまい出血まであった。
冬の時期ということもあり、元々乾燥肌で弱いのは分かっていたので、薬を使ったものの、なかなか落ち着かない。

むしろ、かゆさと赤みが広がっていく。
これは何かおかしい。

急ぎ皮膚科を受診すると、「帯状疱疹」と診断された。ストレスが原因とのこと。

自分では頑張り過ぎないと決めているのに、身体は正直だ。明らかに無理していたのだと分かり、ライフスタイルなどを改めて見直した。
そのようなこともあって、人事の担当者に「2年目の異動はまだ難しい」と相談した。
私の復帰後の人事はかなり特例だった。元の職場に戻らされるのは絶対に避けたかった。
結果的に『体調の現状維持を最優先』と判断されたようで、異動にはならず、もう1年同じ職場で働けることになった。





少しずつ心身共に整い出してきたが、外出はまだ怖かった


適応障害の症状はほぼなくなったものの、同時に併発したパニック発作はまだ落ち着かない。
朝起きた時はすこぶる調子がいい。
「大丈夫かな?」と思って外出するも、なんの予兆もなく、急に息苦しさと気持ち悪さが込み上げてくる。
脳内がパニックなり、その場にいられない。とっさに逃げたくなる。
私の場合は電車に乗った時、発作が起きやすかった。
酷い時には誰かと一緒にいた時に起きた。まだ万全じゃない体調に罪悪感となんとも言えないやるせなさを常に感じていた。
発作を起こす度にますます外出が怖くなっていった。人と会うのも避けるようになっていた。
このままでは嫌だ。

本気で克服したいと関連の書籍や、同じような悩みを抱えている動画を片っ端から探した。

パニック発作と、ともに生きる

だんだんと、私に合った方法を見つけることができてきた。
「発作が起きたらどうしよう怖い。」と思い込むことをやめた。
自分を冷静に客観視して、他のことをして気を逸らす。これを意識するようにした。
特に効果的だったのは、水を飲む。飴を舐める。そして深呼吸。

意識してゆっくりと息を吐き、吸う。

それだけでもだいぶ違うことがわかった。対処法を見つけてからは、薬は飲まなくてもやり過ごせるようになった。

パニック発作を完全に無くすことは難しい。
もう共に歩むしかないとさえ最近思う。これも私の一部であると、一生付き合っていく覚悟でいよう。
逃げるのではなく、共に向き合っていく。
そう思えたら気持ちがだいぶ楽になり、外出がしやすくなった。

夏休みチャレンジ


復職2年目の春のこと。私は、数か月後の夏休みをどう過ごすか考えていた。
私の誕生日も近いこともあり、就職してからは毎年どこか泊まりで行出かけるのが恒例行事になっていた。
それこそ体調を崩した時も、無理なく行ける範囲、それこそ自力で行けてしまう近場のホテルに行った。
夏休み、誕生日はだけは何があっても特別なものにしたいとこだわりがあったのだ。

その時行きたかった場所は、北海道。
私の住まいからはかなりの長時間移動。飛行機を利用することになる。
(大丈夫だろうか?)



飛行機自体……空を飛ぶことは別に怖くない。寧ろ大好きだ。小窓から眺める雲海の景色とか最高である。
だが途中で発作が起きて、体調悪くなったらどうしよう。機内で誰かに迷惑かけたらどうしよう。
そんな不安がよぎった。
それでも行きたい気持ちが勝った。
北海道は体調崩す前は毎年行くくらい好きな場所であったし、何よりも会いたい人がいた。
不安を全部紙に書き出し、当時通院していた主治医にも相談してみることにした。
私は乗り物にも酔いやすい。酔い止めも必須だった。飲んでも大丈夫なのか。 
気になることは山ほどあった。
(結論を言えば、頓服薬と酔い止めは併用可能だった。)



病気になってからは、遠出は怖い、絶対無理!と諦めていたが、体力もついてきたので少し自信と意欲もついてきたのだろう。
綿密な計画を立て、北海道旅を存分に満喫できた。結果的に発作の症状は出たが、薬とセルフケアでそこまで悪化することもなく過ごせた。
私、また旅に行けたんだ。
まがなりにも自信がついた。もうこの不安定な体調ではどこにも行けないとどこかで諦めていた。でもダメなら、ダメでいい。とこの日を境に少し開き直って自分のペースで動けるようになった。

終わりは来るの?


復職はできた。旅行も行けた。
だいぶ出来ることが増えてきた。


でも、いつになったら通院と服薬が終わるのだろう?

そんなことを思っていた復職から2年目の秋。

私の事情を知ってる人達にも度々聞かれ、少し焦っている節もあった。


無意識のうちに休職や通院の記事を読み、通院卒業、元気になりました。
的な記事を探して更に焦る。
しかもその期間は大抵私より短い。

体調も安定し、「もうそろそろ終わりにしてもいいかな?」とぼんやり思いつつも、どうにも主治医には聞きづらかった。
まだまだ当分先などと言われたらどうしよう。真実を知るのが怖かったのだ。
気になってネットで調べた。どうやら主治医の口から、通院や服薬の終了を言われることは少ないようだ。

あくまでも患者からの申告がほとんどだとわかった。
そんなとき、運よく同じような症状で通院して緩解していた人に話を聞くことができた。



『判断基準は今、薬を全部手放しても不安はないか』


あくまでもその方の基準ではあるが、非常に胸に響いた。そして自分に問いかけてみた。
今は……無理だ。
不安しかなかった。そんな状態で終わらせたら再発する可能性が高い。
様子を見つつ、1年ほどかけて通院の頻度や薬の量を主治医と相談の上、減らしていった。


 

そしてとうとうその日は訪れる



3年間お世話になった病院とのピリオドを打つことに決めたのだ。
清々しい気持ちだった。通院最終日。秋の日差しが妙に眩しく、祝福しているようにすら思えた。ずっと真っ暗な世界に少しずつ色がついたような感覚を覚えた。
『また、何かあればいつでもきていいからね』
主治医の言葉に私は胸に熱いものがこみ上げた。
この方に診てもらえてよかったと心の底から思えた。感謝しかない。もちろん行くつもりはないが、何かあったら頼っていいと言われたことは私の気持ちを軽くした。

私のかけがえのない3年間

この3年間は、常に自分に寄り添って過ごしてきたリハビリ期間だった。

この病気は、再発の可能性がとても高い。常に自分のケアをしないとまた同じことの繰り返しになる。
それが怖かった。
病気になった大きなきっかけは職場の人間関係だが、実際はそれだけではなかった。
自分では見えない、心の澱のようなものが溜まりに溜まり徐々にむしばんでいったのだ。
病気になるまでは、何か辛い、苦しいことがあれば常に自分を責めて、いつだって自分の気持ちに蓋をして押し込めていた。自分の本音から逃げていた。
その上、誰にも、家族にも頼れなかった。助けを求められなかった。弱さを見せるのは甘えだと思っていた。いい大人なんだから自分で何とかしなきゃと必死であがいてもがいて。
だけど今はほんの少しだけ、少しだけ。
自分と向き合えるようになった。
本音を言えるようになった。出来ないなら出来ないでいい。大丈夫じゃないときは隠さない。
だが、それを言ったら嫌われたり、呆れられるかともあったが、実際はそんなことなかった。
特段肯定否定する訳でもなく、案外と受け入れてもらえたのだ。
世界は自分が思うほどそこまで怖くないのかもしれない。
もちろん手を伸ばして振り払われることだってある、だが取ってくれる人も間違いなくいる。
私はある意味恵まれていたのだと思う。
人事担当の人、新しい職場の人達、主治医。そして一番に支えてくれた家族。病気になっても変わらず接してくれた友人達。そして同じような経験をした方の存在。ゆめゆめ忘れてはならないと胸に刻んでいる。



病気と仲良くなるまではまだまだ時間がかかる。
一生かかるかもしれない。
でも、それでいい。疲れたらちょっと立ち止まって、休んだっていい。


4年前、休職して絶望しかなった私。
あそこで無理をしなくて休むを、生きることを選んでくれてありがとう。
って今ならいえる。それが嬉しい。


『わたし、これからどうしたい?』


常に問いかけながら、この先歩んでいくんだ。
私の手を取って。












そして私が誰かの手を取れるようになる。


色々あったけど、生きてる私がいる。

だからあなたも大丈夫。

一人じゃないよ。

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