見出し画像

noteをはじめて変わったこと

こんばんは。今日もお疲れ様です。

私は今朝友達の家に行って新しく飼った猫を見に行って、それから帰ってきて睡魔に襲われ、すぐに寝てしまい、夕方になっていました。最近はよく寝ているので寝足りていると思っていたのですが、人は気づかないうちにエネルギーを使っているんですね。おかげで、子猫と戯れたというイベントしか起こっていません。幸せです。

習慣も簡単に変わる


noteを始めてまだ4日目、本当に短い期間ですが、いくつか私の生活の中で変わったことがあります。

一つはパソコンを開く回数が増えたこと。今まで私が文章を書いていたのはほとんどがスマホでしたが、長い文章を快適なスピードで書くにはやはりパソコンが一番ですね。

大学生活でレポートに追われた数週間後にはパソコンの快適さに取りつかれてしまい、携帯で文字を打つことすらめんどくさくなってしまう時があったのを思い出します。あの時私は「逆に」紙に書いて写真を撮って返事したりしていました(笑)意味が分からない。

しかも、私が大学一年生の時、一番パソコンを使っていた時期であるにもかかわらずパソコンにLINEを入れてなかったんです。なんでですかね。パソコンでLINEができるのなんてあたり前なのに、なぜか自分のパソコンにいれようと思ったことも考えたこともありませんでした。

結局パソコンにLINEを入れたのは大学2年の夏前でした。ワードかパワポか、何かを友人に共有しようと思った時にてこずった時に、「パソコンのLINEで送ればいいじゃん」と言われたことがきっかけでした。今考えれば本当におかしな話ですが、その一言が私にとってとても革命的で、こんなにも生活が効率化したことはないなと思います。つくづく友人や人の話に耳を傾けることの大切さを感じさせられます。(馬鹿なだけ!)

最近は仕事場で日常的にパソコンを使うので、慣れてきたのもありますかね。今日はちょっとエクセルの勉強もしてみたりしました。関数とか忘れてしまっています。汗

そういうの知ってそうなのに


こんな風に、誰かにとっての当たり前を知らなかったり、できなかったりすることが多々あるのですが、その時にかけられる言葉の多くは

「意外!そういうの知ってそう(できそう)(やってそう)なのに!」

です。どんなイメージ!?しっかりしてそう、とかそういう感じでしょうか(笑)全然そんなことないです。

他人から抱かれていたイメージとして自分が認識している一番印象的なものは、高校時代のものです。それは、なんというか、年齢や関係性問わず「なんかいじれない、完全無欠」みたいな感じじゃないかと思います(さすがに同年代の方たちからだけだったとは思いますが)。文字にして読んでみるとすっごいつまんない、サムい人みたい!でも、今思えば確かに完璧でいたいと思っていたし「非の打ち所がないね!」と言われることがこの上なく嬉しかった気がします。今はそんなことないですが。私も時間をかけて殻を破ることができているみたいです。

タスク処理が確実に


話がそれましたが、noteをはじめて変わったことの2つ目はタスク処理の確実さです。

ここ数日は毎日noteを更新しているので、全く負担ではないですが「更新しなきゃな~」と思いながら生活しています。義務ではないのに。でも、意外とそれが自分の日々の過ごし方に一役買っている気がするんです。きっと察しの良い方はここまで読んだら予想できているかもしれませんが、私は大体noteをスキマ時間や1日の終わりに書いているので、他のタスクを終わらせてからじゃないと書けないのです(笑)

というより、これを書くことを楽しみにしながら他の事を片付けているかんじですかね。おかげで、アサインメントや調べものは早め、かはわからないけど、割と余裕を持って終わらせることができている気がします。やってよかったです。

やることって絶対にあるのに、なぜか気が進まないですよね。締め切りの直前になってやっとやる気が出て、そこですごい力を発揮することもありますが、それでは心の余裕がなくなって結構自分勝手になってしまって後悔することが多々あります。わかっているけど、できない。最近は特にそうでしたが、更新の頻度が減っても、「自分がやりたいこと」としてこの書く活動があれば書くために頑張ろう~ってなれる気がします。

ご褒美やゴールを見据えて全体を俯瞰することが大事なんです、私にとっては。(倒置法)

明日も遅い時間になってしまいそうですが、書きますので読んでくれたら嬉しいです。それでは、今日はこの辺で!おやすみなさい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?