一度のあやまち
おおらかに生きたいと願っていても、できないことがある
一度のあやまちが命取りになる世界もある
仕事だってプライベートだって
命の現場などはそうである
まちがいは死にいたることもあるわけだ
それくらいの覚悟で取り組んでいると
失敗は成功のもと
なんて啓発には頷けないだろう
ささいなことでも真剣に取り組むこと
取り組み続ける執念が好きだ
そういう人はなかなかいない
どちらかというと
笑い物にもされがちである
そんな苦しさ
「自分の真剣さをわかってもらえない」
のを聞いてみたい
そこにきっと情熱があって
わたしを揺さぶるわけだから
もらい火のように燃えるから
それってちがうよって
もっと人は独立して孤立している
個々で完成しているものだよと言われることは多い
それはわかる
けどなぜ人間なのか あなたが動物じゃないことを証明せよと問われたときに、どうやって説明するだろうか
ふと思うのが利己主義であるか利他主義であるかということである
私は自身の幼少期の経験やら、教育から、もってうまれた資質から利他主義になりがちである
だから誰かの命をたすけてみたいと切に願う
それが自分の真理だと思っていたのだけど
「利己的な遺伝子」という本を
読んだ時の一節
”often altruism within a group goes with selfishness between groups.”
を知って愕然とするわけだ
よかれと思ったことが裏目にでる
じゃあ、自分も利己的に生きるか、と単純ではない
いまだに深く大きな悩みである