【スキル無しでも大丈夫⁉︎】0から実績を作る方法

このnoteでは僕が18歳ながらに月収30万円を突破するまでの道のりを赤裸々に描いたものです。

最後まで読むことで、

・スキル無し
・人脈無し
・お金無し

の少年が月に30万円稼いだストーリーを知ることができます。

こんな状態からでも30万円稼げたんですから、あなたにできない訳がありません。

SNSでも沢山の声をいただきました。

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1500人以上の方に読んでいただき、130件以上の感想をもらいました。

こちらがいただいた感想の一部になります。
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それでは本文に入ります。

サラッと読めると思うので、ぜひ最後まで読んでください。

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自慢話のように聞こえるかもしれませんが、僕は「小学生ながらに自分でも恵まれている」と思っていました。

両親ともに容姿は整っており、母は専業主婦、父は経営者として働いていました。

見た目も若く、お金もそれなりにある。ガレージの車はベンツBMWで2台とも外車。

毎年、冬休みになると海外旅行に行くことが家族の恒例行事でした。

僕自身としても学校では、勉強も運動もできる子供でした。

短距離走、長距離走ともに学校で1番、スポーツテストも1番、小学校1年生からはじめた野球もレギュラーで、何もかも上手くいっていました。

そのため、スポーツ推薦で私立中学校への入学もあっさり決まります。

ちなみに、その学校はいわゆるおぼっちゃま学校で、周りもお金持ちばかり。

自分は恵まれている。子供ながらにそう思っていました。

こんな日々がずっと続くものだと・・・


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中学生になっても充実していました。1年生からレギュラーで試合にも出場。

なにもかもが上手くいっている。自分でも実感していました。

しかし、中学2年生の冬、突然に転機が訪れます

ふだんから帰りが遅い父。しかし、その日は珍しくはやく帰ってきました。

そしてそれは、なんの前触れもなくやってきます。部屋の隅で静かに涙を流す母。なにか言い訳をするように、すぐに駆けつける父。

なにが起こっているのか、わかりませんでした。

僕と弟はゲームをしている手を止めて、ドア越しの会話をただ黙って聞くことしかできません。

こんなことは初めての経験です。

滅多にケンカをしない仲良し夫婦、今回もすぐに仲直りをするだろう。そう思っていましたが、予想とは裏腹に両親のバトルは3日続くことになります。

3日目にしてようやく2人がハグしているのを見て、今回も終わったんだと安心しました。

しかし、その日から何かが変わりはじめていました

ご飯を出すときの泣き出しそうな母の表情。鉛色の雲のような不自然な笑顔。

あきらかに無理をしている様子でした。

そして、

「力を貸して」

と母に泣きながら抱き締められ、事態の深刻さを感じ取りました。

詳しいことは教えてもらえませんでしたが、父が母にとんでもなく酷いことをした、それだけが理解できました。

今回だけはいつもと違うかもしれない、母になんとかして元気になって欲しい。

なのに今の僕ではなんにもできない。

改めて自分たちの力の無さを実感させられました。

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父と母のバトルからちょうど5ヶ月目のある日でした。

家にかえると僕ひとり。カバンを置いてすぐ、後ろから聞こえたドアの音。

両親の古くからの友人と母、2人が家に帰ってきました。母の友人と会うことはこれまで何度もありました。

しかし家に来たのは3年ぶり。

「嫌な予感がする」

その予感は的中でした。呼ばれるままに二人の前に座る僕。

母と友人の表情はありません。静かに話を切り出した友人。

そこで、初めて事の全貌が明らかになりました。

すべての原因は父の不倫でした。しかも内容は酷く、僕の予想のはるか斜め上を行くもの。

知らない間に腹違いの妹が2人もいるようでした。

既婚者として一番やってはいけない事をやってしまった父。しかも、気づいた時にはもう手遅れで、腹違いの妹も当時5歳と3歳。僕の8つ年下。

それほど前から不倫は始まっていました。今までの父の帰りの遅さ、度重なる出張もずっと仕事を頑張ってくれているものだと思い込んでました。

しかしそうではなかった。

カッコよく、頼もしい父のイメージがどんどん崩壊していきます。

このことを知った時のショックは今でも忘れられません。

それと同時に、献身的に家を支えてくれた母の無念を思うと、やるせない怒りも込みあがってきました。

のちに弟が帰ってきて同じ話をもう1度聞く。このとき母の友人を入れて4人、父への怒り、裏切られた母の想像を絶するであろう悲しみ。

それを思うと自然と涙がこぼれていました。これまで流したことがないくらいの大量の涙。

泣いて、泣いて顔はぐちゃぐちゃになりました。

その日から、父と会うのは随分と先になります。

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父の不倫を知った日から、僕たちは家を出て母の実家に泊まることになりました。

家に帰らずに離れて過ごす、これが復縁の願いを込めた"最後のあがき"でした。

さいわいにも実家から学校までの距離はそれほど遠くはなく、通学に支障はありませんでした。

とはいえ授業中、父のしたことを思い出してまた涙が流れる。

そんな日々を過ごして2週間。父の謝罪を期待して家を出ましたが、結局状況はなにも変化しませんでした。

最後のあがきは無駄に終わることになります。そして、正式に離婚の日が決定。

これからどうしたらいいのか、先は真っ暗でした。

学校の授業料、引っ越し先、食費に生活費など考えないといけないことは山積み。僕も弟も私学だったため転校、最悪退学も覚悟していました。

しかし、それ以上に心配だったことがありました。それは母のことです。

15年以上専業主婦で家を切り盛りしてくれていたため、外で働くスキルは持っていません。パートだと働いても収入が少ないことは目に見えています。

それにおっとりしていた母のこと。職場で上手くいかずにストレスを抱えたり、過労で倒れやしないだろうか。

母の苦労を想像すると、なんにもできない自分に怒りすら込みあがってきました。

今までずっと恵まれた家庭だと思っていましたが、普通以下の母子家庭へと落ちた瞬間でした。

当時のことを思い出すだけで、今でも涙がとまりません


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離婚がほぼ成立して、親族会議が開かれました。久しぶりに父との再会。

父が酷いことをしたのは事実ですが、そんな父を目の当たりにしても、正直憎み切れませんでした。父に対する感情がわからないのです。

父は僕たちに対してもほんとによくしてくれていて、それまでずっと尊敬できる自慢の人でした。

だから、いろんな感情が混ざり合ってどう向き合ったらいいのかわからない。これが正直な気持ちでした。

一通り話をして父の両親にも散々謝ってもらいました。

そして、母の父親が一言

「俺は別にお金が欲しいとかじゃない。娘をどうにかして幸せにして欲しかった。娘の幸せが1番。お前にはそれができると信じていた。」

その言葉には娘の幸せを願う1人の父親として。また、祖父が僕の父を自分の息子のように可愛がっていたこと、そんな思いが込められていました。

その言葉を聞いて父は

「ケジメをつけてまた4人で生活できるようにする。
 絶対に迎えにいくから待ってて」

と確かにそう言いました。

その言葉を聞いた時は正直嬉しかったです。父を信じたい。どこかそんな気持ちが自分の中にも残っていました。

しかし結果的に迎えに来ることはなく、その場しのぎの嘘。それどころか数年後に不倫相手と籍を入れていたことを知ります。

やっぱりなにも変われなかったんだと。何度も裏切られた、そう何度も。

しかし今だに毎月仕送りをしてくれていて、大学までいかせてやるとお金を出してくれています。そこに関しては父として立派だと思います。

でも籍を入れたことでいつ仕送りが止まるか分かりません。

パートの母は変わらず給料なんか上がりません。父の仕送りがいつ止まってもいいように僕が稼いで見返してやる、家族は僕が絶対守る、そう決意しました。


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高校3年の夏、12年間ものあいだ続けていた野球を引退する最後の大会。

正直いつ辞めてもいいと思っていました。気持ちは野球なんかよりもどうやってお金を稼ぐかしか考えてなかったからです。

引退後から休みが続き、大学も内部進学を考えていたので時間はたくさんありました。学生でもできそうなビジネスとして、ブログやアフィリエイトをはじめます。

高校生のうちに稼いでやると様々な教材を買いながら、ブログを書き始めました。

とりあえず、毎日1記事を目標に頑張ります。

また、ツイッターで募集していたアフィリエイトチーム、ライターチームの2つに参加しました。

どちらもフォロワー1万人を超える影響力を持った人たちのチームでした。

高い倍率の中なんとか合格して、参加出来たことがただただ嬉しかったのを覚えています。

お下がりの古いWindows7、ろくに使い方も分からないまま、試行錯誤で進む日々。

しかし、以前ケガをした再手術の日が迫り、1ヶ月は片腕が動かせない状態も近づいてきます。このままだと、携帯片手の作業になりそうだ。

そんな状況で、僕はある『お誘い』を受けることになります。それは物販の誘いでした。

物販に良いイメージはなかったので、ずっと避けていましたが、稼げるのならなんでもやってやる。そう決意して自分でも調べはじめました。

話を聞いたのはリスクも少ない無在庫物販とのこと。売れてからの仕入れなのでリスクは少なく、はじめての挑戦にはピッタリだと思いました。

しかしコミュニティに参加するにはそれなりの金額が必要になります。

当然ですが母には相談できません。理解されるか分からなかったですし、そもそも心配させたくなかったからです。

かくいう僕も、挑戦することが不安でした。しかし、勉強会などに参加して雰囲気はとても良いものでした。

もしかしたら、ここで変われるかもしれない。そんな予感もしました。

詐欺の可能性は捨てきれないし成功の保証すらない。しかし、チャンスかもしれない、一体どっちにすればいいんだ。僕の迷いが始まります。

なけなしの貯金。母に万が一のことが起こっても家族を守れるようと手付かずの貯金でした。

昔から少しずつ貯めてきた、そんな想いの詰まった数字をにらみながら悩み続けます。

3週間後、迷いに迷いましたが、思い切って入ることを決意しました。当時、振り込みボタンを押す手が公式戦の初打席よりも震えていました。

しかしこれが自分の中で1番迷った決断でもあり、最高の決断だったとも思います。

そこからブログやアフィリエイトではなく物販を始めることとなります。

ここからはただ、ひたすらに行動していく日々でした。


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とはいったものの、早速つまずくことになります。

当時17歳だった僕は年齢で引っかかりAmazonのアカウントさえ作成できませんでした。始める前から壁に当たります。

はじめは僕が外注先として他の人のお手伝いとして始めることになりました。

学校から帰ると、とりあえずパソコンの前に座る。そして毎日5時間、休日には10時間ほど作業していました。

物販を始めてから6日目で初めて商品が売れました。

今でも忘れられない3200円の利益。

ここが始まりだと、ここから絶対稼いでやると固く決意しました。

毎日頑張り、1週間で利益が2万円弱まで到達。学生が稼げるバイト代までにはなったと思います。

しかしすぐに終わることになります。Amazonの商品チェックが入り外注元のアカウントが一時停止。

なにか悪いことをしたとかではなく、ランダムでされる調査でした。

「運が悪すぎる…」

そう思いながらコミニティの講師に相談して、対策など教えてもらいました。これまで作業した日々は無駄になると落ち込みます。

授業なんか耳に入らず、どうするかだけを考えました。

「なんで僕だけアカウントが止まるんだ、
もう無理かもしれない、辞めてしまいたい、逃げ出したい」

そんなことばかりが頭によぎります。しかしこのまま終わるという選択肢はありません。

父に依存せずに生活するには僕が稼ぐしかなかったからです。


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18歳の誕生日になりやっと自分のアカウントを制作して、ただひたすらに作業をしていました。それしかやれることがなかったからです。

やりすぎてアカウントが一時的に制限がかかるまで作業しました。学校の授業ではリサーチのことばかり考え、帰ったら夜中まで作業する日々。

ある日は商品が汚く、価格に見合わないと電話でクレームが来ました。信用がないと言われたので先に返金したのに商品が返品されず、逃げられることもありました。

でも落ち込む暇なんてないと思い、とにかく作業しました。

友達には、

「バイトもせずに家でニートか」

と馬鹿にされたこともあります。悔しかったです。でも絶対稼いで見返してやる。口で言い返すよりも実際に稼いでやろうと。

ひたすらに頑張った甲斐あって初月で月収10万円を達成。

初月の目標が10万円だったので嬉しかったです。しかし満足はできません。

もっと上を目指さなければ。そのことで頭がいっぱいでした。


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12月になり大学進学のためのテストや成績を取らないといけなません。大学がかかっているので流石に適当にすることはできず、かなり前から勉強にとり組みます。

そして、なんとかテスト勉強しながらも作業を続けます。

勉強を何時間もするよりも作業を続ける方が楽しかったからです。気がついた時には睡眠時間も削って夜中までやっていました。

そして頑張り続けた結果、12月では月収15万円と収入を伸ばしていきます。

1月、2月ではともに月収20万円を超えるようになりました。

この金額を達成したときはとても嬉しかったです。

ただの学生がここまでやれるんだと。予想を大きく上回る収入になりました。しかし、まだ止まることはありません。

ここからも利益を伸ばすためにクラウドファンディングやSNSなどにも高額なお金を払って挑戦をしました。

この時はあまり迷うこともありません。

なぜなら高額な投資も信頼できる人だったら、初期投資の額以上は回収することが出来る。そんな自信がありました。

その時から僕の中では、高額な投資が全て悪だとは思わなくなったと思います。

そして物販開始から6ヶ月後の4月には月収30万円も突破。

これだけはやくに結果が出る物販には驚きでした。

ただの学生がついにサラリーマンの手取りをも超えることができました。

しかしまだまだ足りません。

生活費と借金返済、母にもこれ以上負担をかけたくない。パートを辞めれるくらいの収益まで達成して、のんびり過ごして欲しい。

その一心で今も行動を止めることはありません。

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今では普通のサラリーマンよりも収益をあげるようになりましたが、最初からそうだったわけではありません。

読んでもらったら分かるように何度も何度も絶望して苦しんできました。

書ききれてないところでも、当然失敗はかさねています。その度に立ち上がっています。

僕は、諦めずに行動し続けたからここまで出来たと思っています。

こんなスキルもない学生でも実績を作れることができました。学生にできてあなたにできないことはありません。諦めずに挑戦し続けたら、必ず成果はついてくるはず。

挫折しそうになることもあるかもしれない。
逃げ出したくなることもあるかもしれない。

僕もつい数週間前まで、挫折しそうでした。でも自分の中で諦めるという選択肢はありません。

なぜなら僕には、やらないといけない理由があるからです。

あなたも収入を上げて少しでも幸せな日々を送りたいから挑戦しているのではないですか?

まずは勇気を出して行動してみてください。案外なんとかなります。

僕も17歳の夏に勇気を振り絞って高額な投資をしたから、18歳で月に30万円という実績が出ました。ただ、多額な借金をするなどは絶対にしないでくださいね。

そして今では、様々な企業様の集客のお手伝いをさせていただき、19歳にして月収170万円も超えることができました。

これも無在庫物販に出会って、本気で行動したことがキッカケでした。

このnoteが少しでもあなたの勇気になれれば幸いです。

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