三角関数の価値を決めるのは誰?

はじめに

三角関数がいる、いらないみたいな話しがツイッターのトレンドになってましたけど、あれ見て私、うわこれ正しく「職業としての学問」の話じゃん!って思って、この記事をその場の勢いで書きました。
「職業としての学問」とは、マックス・ウェーバーという社会学者の著作です。

価値を決めるのは誰であるか

この著作のなかで、ウェーバーは学問や科学に価値があるかどうか客観的に証明することができないと言ってます。これを聞くと怒る人が出てくると思うんですけど、私自身は、学問や科学には価値があるし、三角関数は必要だと思います。私も一応理系なんで。でも、それは私が理系で、三角関数を日常的に使ってるからなんですね。だから、理系の主観でしかないんです。逆に私は古文漢文って必要なのかよって思うこともあります。
いやいや、数学も物理も古文漢文も地歴も全部価値がある、って言う人もいると思います。でも、全てに価値があるってことは逆説的にそれら全てに価値がないって言ってるのと同じなんですね。価値があるということは、他よりも優先させるだけの理由があるということなので。

「職業としての学問」に話を戻すと、学問は、自分自身の価値を説明することができません。例えば、医学は、人の命に価値がある、怪我や病気をしている人を助ける行為に価値があるとしています。ですが、「本当に人の命に価値はあるの?」という問いに医学は答えることはできません。医学の目的は人を治療することであり、そんな倫理的な問いに答えを出すことが目的ではないからです。

なんかこんな話してるとすげー性格が悪いように見えるな…

価値を決めるは個人の主観であるため対立が起きる


結局何が言いたいかと言うと、学問にしても何にしても、それが価値があるかどうかは個人の主観で判断するしかないということです。

だから、「三角関数は必要かどうか」は人それぞれです。でも、人それぞれだからこそ、意見の対立が起こってしまう。ここから、ウェーバーは、全ての事柄が意見の対立になり得るといい、それこそが万人の万人による闘争、神々の闘争であると言いました。

ああ、なんかこれすごいニヒリスティックだな…

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