メタバースインフルエンサーに対するお気持ち

上の記事を皮切りに、メタバースをメディアで宣伝する意義や宣伝の内実についての議論?レスバ?が繰り広げられている。所謂メタバースインフルエンサーは自分たちの活動の正当化を行い、一般ユーザーたちはその活動の是非について思い思いの言及をしている。
私もメタバースインフルエンサーに対し思うところがあるのでこの機会に記事を書いた。
まず一つ目はインフルエンサー本人の本意によらず、彼らがメタバースの代表者のように映って見えることである。あくまでメタバースの1ユーザーでしかない人間が、メディアに露出し、恣意的に取捨選択した宣伝をしていると、「この人はインセンティブを取って自分に都合のいいスタンダードを作りたいだけなのでは?」と邪推してしまう。(もちろん様々な制約がありメタバースについて全てを語ることができないのは重々承知ではあるが。)

二つ目は、ニッソちゃんの記事に対してのあるインフルエンサーの自己弁護についてである。
「私の活動はメタバースの原住民に利益がある。将来的に原住民を守ることに繋がる」と。この発言を見て私は思った。誰もあんたにそんなこと頼んでいないと。「私はメディアや行政にメタバースを売り込みたい、私がやりたいからやっているんだ。」と言うのであれば、どうぞぞ自由にしてくださいと思う。しかし、自分の活動を正当化するために原住民という抽象的な概念を使うのは如何なものか。(活動をする上で予算や人を引っ張って来るのにそのような自己正当化が必要なのは理解しているが。)
私がなぜこのようなことを言うのかというと、「私は(彼は)原住民に利益をもたらすために活動している。それを批判するということはお前は原住民の敵だ。」みたいなことを言い出す人間が今後現れるのではないかと危惧しているからだ。やはりこのような抽象的な概念を持ち出しているのを見ると、エコーチェンバーを形成したり、メタバースカーストの上位になりたいだけなのでは?と邪推してしまう。

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