お寺とQOL

(この記事は、まだ書きかけです。)

 久々の記事。僕は仏教オタクでもあるんですが、今日は仏教(お寺)とQOLについて、普段考えていること書いてみたいと思います。寺と人間の健康がどう関係するのか、長いですが、まぁ、暇な人は読んでみてください。

 さて、いきなりだけども、ソーシャル・キャピタル(以下SC)って、知ってますか?
SCって簡単に言うと人々のネットワークのことで、それが人々のQOLに強く影響するって指摘されている。ただ、いま日本ではコミュニティ(特に違う階層、集団に属する人々をつなぐ)が、生活の都市型への変化もって崩壊してきていて、結果SCも小さくなっているわけだ。だからこそ、SCの重要性も強調されつつある。でも、じゃあどうやってコミュニティを再生するのか、その空間を創造するか?僕はその答えの一つがお寺であるといいたい。なぜか?

3つほど理由をあげてみる。


① 公共性の高さ
寺は万人に開かれている。寺は本来、誰でも訪れることできるもの。そして、誰にでも開かれているということは、普段、職場や学校といった所属コミュニティが異なる人々が集うことが可能ということだ。本来出会うはずでない人間が、出会う。これってよく考えると凄いことで、僕も、寺で哲学者やアーティスト、経営者、法学者など様々な人々との出会いがあった(学生は少ないけど笑)。‘これも何かのご縁“とはよくいったものだとお寺にいくと本当に実感する。

② お寺の数
皆さん寺って全国にどのくらいあるか知っていますか?なんと日本全国に約、77,000件あるって言われているんです、コンビニはおよそ55,000件。コンビニより寺の方が多いんですねー、オドロキ。このすでにあるの社会資源をそれは上手く利用できたら素晴らしいですよねー。

③ 寺の機能の多様性
 寺って今でこそ、葬式をするだけに場所ってイメージだけど、寺小屋って言葉があるように元来、その空間の機能は多様で。それこそ、教育の場であり、また芸道、武道など日本文化の創出の場でもあった。
 そして、医療も仏教と結びつきが深い。
 例えば西洋医学の補完医療としてのアーユルヴェーダやヨーガ、東洋医学(漢方、鍼灸)は仏教と共に日本に伝来したし、その教えは仏教の中に組み込まれている。仏教独自の瞑想法(禅など)はマインドフルネスとして、西洋医学の中で再構成されてすでに医療の現場で使われている。歴史的にみてもお釈迦様は「医王」と呼ばれていたし、鎌倉時代、日本において医療の担い手は僧侶であったわけだ。寺は様々な役割を担える。医療関係者が健康教室をお寺で開くそんなことも、簡単に受け入れる器が寺にはある。


 上のような理由をもって、寺は地域のコミュニティとして、最適であると思われる。ただし、現状はそうなっていない。まぁ、お坊さんも日々、葬儀や法要で忙しいからねぇ。家族もいれば、寺も家と変わらなくなって、プライバシーを持った閉じた空間になりがちだ。仕方ない部分もある。


 でも、最近は忙しいながらも面白い活動をしている僧侶さんは結構いて、デスカフェや貧困支援といった真面目なものから、カレー寺(!)やテクノ法要(!!)やアイドルプロデュース(!!!)といった変わり種まで。

 やっていることは違うけど、彼らの目指しているのは寺を中心とした昔ながらのコミュニティの再生なのではと思っている。なぜなら、コミュニティの再生はそこに来る人の生老病死の苦しみに寄り添う、仏教的慈悲の実践場となりうるからだ。

 そして、そのようなコミュニティは参加者にSCを形成する。そのSCは上下の関係でなく、水平的で、互いの資本を対話や関係性の継続を通して共有できるようになる。良き縁が、人々の人生に幸福を与え、結果、人々のQOLを上昇させる。お寺(仏教)にはそのような力がきっと眠っているはずだ。あなたも一度、お寺に足を運んでみてはいかがだろうか。

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