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023\\\ 目の前にいるから i r u と名付けました。

ある日、数人の仲間と身体を動かす練習をしていた時のことでした。ぼくのすぐ目の前に、「何か」が「いる」ように思えた(感じた)のです。

その存在感は、空気のような、気配のようなものでした。

気配はあっても姿や形もなく、だからといって、幽霊とか地縛霊のようなおかしなものでもないし、怖いものでもありませんでした。ぼくは「霊的」なものがいればすぐにわかります。そういう体験もありますし、それなりに知っているジャンルでもあります。

その時も、目の前に、何も見えないけれど、何かが「いる」のでした。

このような、自分の目の前に「そのようなもの」が現れたり「見えたり?」したことは、実はずいぶん以前もあったものですが、今回のは、その時とは違うタイプ?のものなのです。


以前の場合の時は、どこかの外界からやって来てぼくの目の前にあらわれ、そのままぼくの身体に重なった。まるでハサミのように。ガチャ~ンと。おなかのあたりにある丹田という「止め金」で。「ふたり」でハサミのように「ひとつ」になったのです。

その時もぜんぜん怖いものでもなく、気のせい?と言えば気のせいかもしれませんでしたが、とりあえず「あなたは誰ですか?」とたずねました。

しかし肉声で話しかけても通じないものですから、(その時は外にいたものですから)そばにあったファミリーレストランに入り、お店の人にメモとペンを借りて、そのメモに「あなたは誰ですか?」と書いて、そのままポケットにしまっておいたのです。

自宅に帰ると、急にペンが欲しくなり、ポケットからさっきのメモを出してペンを向けました。すると、「わたしは〇〇〇〇です」と名乗って来たわけです。


その時も、霊的なことではなかったので、自動書記とか、そういうものでもありませんでした。書いたのも名前だけでした。その時もそれで終了し(これも気のせい?と言えば気のせいともいえるものかもしれません)、後々もこれ以上何も(おかしなことなど)起きてはおりません。

そんなハナシを、その時の踊り系の仲間に話したりして、別段こわいものとしての話題にもなりませんでした。それはどんな人だったの? と聞かれたので「インド人の、それも見るからにカーストの高そうな雰囲気の女性だったんだよ」と答えただけです。

肌は色白で、インド舞踊のようなコスチューム、背は170センチ弱、眼の色は黒、髪は長く、鼻は高く・・・、というビジュアルの話題でちょっと盛り上がったりしたくらいです。それでは、インド音楽でもかけて動いてみましょうかしらねという感じになって楽しんで終わり、でした。


しあわせは丸いオーラ(完成)

その時は、あきらかに「外から」やって来たものでした。どこかの世界からこちらの世界にやってきたのでしょうね。しかし今回お話ししている「目の前にいる存在」とは、外からやってきたものではなさそうなのです。

となると・・・、自分から生まれた? のかな・・・。それも、身体を動かしている時に、ごく自然にそんなことが起きたことですから、神秘的な何かでもなさそうです。

その時の、数人の仲間と身体を動かす練習とは、エネルギーでつながり合うというような練習だったのです。その練習中の最中にそんなことが起きたものですから、「ちょっと待って。今ね、かくかくしかじか・・・」と説明をいたしました。


説明が終わると、そのままさっきの「エネルギーでつながり合う練習」に戻ると、その仲間の相手は、あきらかに「変な眼」でぼくを見るのです。それで、「なにかおかしい?」と聞くと、うんうん、とうなずくのでした。

目の前に出たそのままで、さらに相手の人とエネルギーでつながろうとするわけですから、おそらくなにかしらの違和感を感じてしまったのでしょう。しかし今回も、霊的なこわいものでもなく、身に危険がくるものや不快なものではないので、そのまま練習を続けて、無事に終わったというわけです。

それで、その時の、目の前にいる存在のことは、「目の前にいる」ものですから、そのまま「目の前の i r u 」と呼ぶようにしたわけです。

今回は、名前を名乗って来たわけでもありませんし(こちらからたずねてもいませんし)、誰かに似ていたわけでもないので、そのまま「 i r u 」というネーミングにしたわけです。


その i r u ですが、やっぱり自分の中から「生まれた?」ようなので、今でもあの時と同じことをすぐに再現出来ますし、歩きながらでもパソコンでカキモノをしながでも、すぐに目の前に出せるのです。もちろん「意識的に」そう想わないとそうなりませんが。

(※このハナシは《001\\\「外に意識のカラダを出す」という練習です》の記事に似ているかもしれません)

その時におこなっていた、エネルギーでつながり合う練習や、気の呼吸法の練習のようなことを続けてゆきますと、(もちろん練習量にもよりますが)自分の中から外にエネルギーのようなものは自然に出るようになります。この「目の前の i r u 」も、きっとそれなのだと思いました。


このあたりは「そういうものを出している人」によって、エネルギーと呼んてみたり、気と言ってみたり、目の前の i r u と名付けたり、意識のカラダと名付けてみたりと、人によっていろいろです。

つまり、出たものに対して「それは何が出たんだ?」と考えるよりは、出した人によって、出るものが決まるのだと思います。

武術家から出るものは「気のパワー」ですし、治療家から出るものは「ヒーリングエネルギー」ですし、ヨーガの人は「プラーナ」でしょうし、その他の人たちから出るものは、その人に必要なものが出るのです。

何かを、深く長く気持ちを込めてやっていれば、自分の中でその何かは深く高まり、それが自分の中で飽和状態に達すると、その何かは外にまで出るようになるのです。

しかもそれは「無形」で出るのです。その無形を、エネルギーとか気のパワーとかプラーナなどと、それぞれのネーミングで呼ぶというわけですね。

自分から何かが出たときは、それがその人にとって必要だから出た、ということなのですね。不思議ですが。ホントに不思議です。

★呼 吸 法 ワ ン ダ ー ラ ン ド///★

つづく


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