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015\\\ オーラは開かせて使うものです。傘のように。

オーラは開かせて使うものなのです。オーラとは自分の身体をすっぽりと包んでいる「見えない分身」のようなものです。しかし、こんなことは、「意識」をしないと、開いて見せてはくれません。ふつうでは、オーラは閉じたようになっています。

知らないうちに、勝手に自分のオーラが開いていたということはあまり無いかもしれません。

このあたりがスピリチュアルといえばスピリチュアルなのですね。自然スピリチュアルと言えばよいでしょうか。

たとえばステージなどで人前で何かをするような仕事だとか、ステージではなくてもお客や参加者を相手にしておこなう仕事などをしていますと、「見られること=オーラが開く」となります。これは他者や周囲たちからの意思や状況で開くキッカケとなっているわけです。


オーラも実は、「意識のカラダ」ですから、意識的に自分のオーラを使うようにしていないと、なかなか自然には開いてはくれないものです。いつも使っている傘と同じように「開かせて」使うものなのです。

しかし「オーラを開かせる」ための方法とは、「オーラを開かせるよ」と想うことからしか、出来ません。想えば(オーラも自分自身ですから)そうなります(疑わなければですけれどね)。


■(1)外を感じる (2)内を養う (3)外に感じさせる この3つは自分のオーラといっしょに過ごすためのテーマです。

今回の「オーラは開かせて使いましょう」は、このオーラの3つのテーマのうちの3つ目の (3)外に感じさせる です。

オーラを開かせるのも、傘を開かせるのも、どちらも必要があってそうしますね。傘を使うのは外に雨が降っているとか日差しが強いなどで、必然的に使うわけですが、「オーラを開かせる」というのは、ふつうではあまり必然性は日常ではあまり無いかと思います(ほとんど)。

オーラを開かせる=誰かに自分のオーラを見せる、ということから必然性が生まれます。プレゼンテーションがある、好きな人と会う、面接やオーディションがある、人前に立つ、などなどの、オーラを開かせることとは「他者のために」おこなうものだと考えられます。


純粋に、単独で、ひとりレッスンとして「オーラを開かせる練習」などがある場合としたら、自分のオーラ感覚(オーラ能力)を目覚めさせることを目的にする、あるいは身体を動かす(何かの目的があって)ために開かせたオーラを使って動けるようにする、というのが思い当たります。

芸能人の方や、お店のマネージャーや、人がたくさん集まる施設の支配人などは、もともと「オーラが開きやすいタイプ」の人だと思います。なかなかこのような「オーラを開かせる」などというのは、伝統的な技法では無いはずです。お能などでは「観の眼」という、オーラを開かせるにちょっと似たようなものはありますが。

ぼくの住んでおります吉祥寺・井の頭エリアは、人がたくさんいます。街にはいつもたくさん人が歩いております。街を散歩などをするときには、当然行き交う人々のオーラを見ています。(見るといっても、じっと睨むようにしてみるのではなくてソフトな視線で焦点を合わせながら見るのですよ)


光のオレンジ ぴかぴかクウキの神様


大きな商業施設の中で買い物をする人々の中には、この地に住む人々が来ていますので、吉祥寺らしい人たちを見ることができます。オーラが開いている人たちもたくさん見ることも出来ます。やはり、オーラ=光ですから、そういう人たちを見ていると、なんだかよいものです。オーラについての説明をその人がしてくれているような気がします。

大きなファミリーレストランなどに行きますと、家族やカップルのオーラを見ることが出来ます。ふたり以上の人数の場合は、個人個人のオーラではなく、テーブルごとに見ることになります。

あの家族のテーブル、あのカップルのテーブルと。「見る」といっても、だいたい数秒から数十秒くらいでしょうか。あまり仲がよろしくない家族やカップルのテーブルのオーラを見ていると、こちらの方にもなんだか暗いオーラが飛んでくるようで、サッと見てサッと感じ取ってオシマイです。


だいたい、そ~んなに、と~っても素晴らしいオーラのあるテーブルは、そうそうありませんから(笑)、あくまで「オーラの調査会」という感じで見る程度にしていますよ。

いろいろなカップルや夫婦を見ていると、情熱的なふたりのオーラが見えたり、本当に心でつながり合っている夫婦のオーラが見えたり、奥さんに敷かれている気弱な旦那様とのふたりのアンバランスなオーラ、まるで磁石で反発し合っているような感じの男女のオーラなどと、たくさんのオーラを見ることが出来て楽しい(楽しくない場合もありますが)ものです。

やはり、オーラとは、「感情」を表現しているようです。そのカップルや夫婦や家族たちの「気持ち」のあらわれとしてのオーラ状態や、ビジネスマンやお店で働く人々から見えるオーラは、顔の表情というのとは別に、もうひとつ別の「オーラの表情」が見えるものです。

ぼくも買い物とかに行きますと、店員さんのリアルなオーラと対面することになりますから、あまり「気が合わない」感じの店員さんとは接したくないものです。わずか数秒でも、店員さんのオーラはわかりますので、嫌だなぁと思った場合はなるべくよそ見をしながらレジにいるようにしています(笑)


それと、もうひとつ、相手の人のオーラを一番感じ取りやすい状況というのがあります。それは「声や言葉」を使っている時です。街や商業施設をただ歩いている人々から感じられるオーラは、身体の外をおおっているオーラですが、声や言葉を使っている時に出るオーラは、その人の「内」のオーラです。

声や言葉といっても、これも関係性として使うわけですから(話す相手がいないのにひとり電話機を持って話すことなどはないわけですから)、必ず話す相手がいるわけです。そこには話している「相性オーラ」が発生するわけです。オーラには「絶対相」はありません。

必ず相手との「相対性」で起きるのです。相性によって、オーラは必ず変わります。その相性オーラが決定するのは「声や言葉」を使っている時なのです。


人と人は、「声や言葉」を通じての出会いが始まります。しかし今のようにSNSなどで、文字や画面だけでの出会いもあるでしょうから、そこにはなかなかオーラを感じるとういう感覚は鈍ってしまいそうです。

それでもぼくは(もちろん知っている人のはですが)、LINEやメールの文面からの「オーラ状態」を感じ取ることが出来ますので、画面に見える文面の内容とは別に、相手のオーラの表情を感じ取ることは出来ます。

それによってうれしく楽しくなったり、逆に胃が痛くなったり(笑)、わずか数秒して画面は見ていないのに、暗い重いものを感じたりして、携帯電話というのも「ただのモノ」ではないものだなと思うわけです(携帯電話もイキモノ)。


パソコン画面では、キーボードを両手で打つせいなのか、オーラの表情もちょっとばかり違うような気がします。最近のほとんどは携帯電話での交流が多いようですね。文面の文章の言葉や文字といっしょに、送ってくれた相手のオーラを感じながら画面を見ていると、伝わってくる情報量もとっても増えるものです。

そのために、まずは自分側のオーラを開かせて、開かせたオーラを携帯電話につなげるように(重ねるように)して画面を見ると、きっと今まででは感じなかった何かを感じられるようになるかもです。

携帯電話を使って相手に送ろうとするリアルなオーラ状態が、こちらにその人のオーラ情報をも乗せてきます。画面の文章の内容と、オーラの表情が一致しない時もありますし、一致するときもあります。その両方を含めて相手の人と交流が出来れば、情報量の多いお付き合いが出来るわけですね。

★呼 吸 法 ワ ン ダ ー ラ ン ド///★

つづく


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