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世界でいちばん頑張ってる君に

"ねんねソング” というものがあるらしい。

この頃の子育てには、私が娘を育てていた頃にはなかった言葉が
たくさん。

”セルフねんね” という言葉もあるらしい。

赤ちゃんが、抱っこや、寝かしつけをしなくても、一人で眠りに入ることを言うらしい。

ふ~ん。

それから、”スリーパー” というものにも、感動した。

赤ちゃんが、お布団から飛び出しても寒くないように、両手足を広げたムササビのようなものを、パジャマの上に着せるのだ。

言ってみれば、着る布団という感じ。
そのムササビを、”スリーパー” と呼ぶらしい。

それを着せていれば、夜中に何度も、お布団の位置を確認しなくても大丈夫。

私の子育ての時にも、これがあればなあ。
何度も、何度も、夜中に起きては、赤ちゃんの呼吸の様子や、お布団の位置を確認してたなあ。

こんなにも、アナログなものなのに、当時は、誰も思いつかなかったんやなあ。


話を、現代に戻して、”ねんねソング” である。

新生児の頃から、眠りにつく際に、いつも同じ曲を流していると、もっと大きくなった時にも、その曲を流すと、泣きがおさまったり、すんなり眠りにつくことができるらしい。

それを、”ねんねソング”と呼ぶらしいのだ。

その情報を、出産した病院で仕入れてきた娘は、すぐに実行にうつしたんだそうだ。

私の家にやってきた時も、ぐずる孫に、スマホを取り出して、さっと ”ねんねソング” を聴かせている。

効果のほどは、私にはあまりわからないけど、娘はよく使っている。

トイレなどで、眠っている孫のそばを離れなくてはならない時なんかにも、すぐにスマホを取り出す。

もちろん、孫の布団の下には、”ベイビーアラーム”と言って、何か異変があったら、音を出して知らせてくれる用心棒が取り付けられている。

”ねんねソング” に、”ベイビーアラーム” 
私からすると、万全の体制である。

それにしても、私が子育てをしていた時は、そんなものはなかったけど、いったいどうやってたんやろうなあ。

まったく、記憶が欠落している。


そして、再び、話を現代に戻す。

”ねんねソング” である。

娘がセレクトしたのは、
「世界でいちばん頑張ってる君に」
という曲。

その昔、スズキアルトのCMソングとして使われていたのが、人気が出て(今なら、バズってって言うのか?)、音源化されたものらしい。

どうりで、なんだか聞いたことがあるような気がした。

でも、歌詞も何も知らなくて、なんとなくの雰囲気しか覚えていない私。


そんな”ねんねソング”の存在を知ってから、1年ほどたった先日、孫と二人きりで過ごすことがあった。

しばらくは、ごきげんさんで遊んでいた孫も、眠くなってくると、ママを求めて、
ぐずる、ぐずる。
泣く、泣く。

そりゃあ、そうやわな。

けど、ここは二人きりで、なんとかするしかない。

こっちも、腹をくくって、大音量の泣き声にも、抱っこの重さでしびれる腕の痛みにも、そして、いつ眠りにつくのかわからない見通しのなさにも、「よっしゃあ~!」と立ち向かう。

そう。

立ち向かってみる。

孫の目からは、涙が飛び散り、私の腕は、プルプルしだし、腰も痛くなってくる。
そうかといって、抱っこをやめると、涙は大洪水となり、泣き声も、窓ガラスを割らんばかりとなる。

なのに、私の身体が、ついていけなくなる。

もちろん、心もいたたまれなさに、苦しくなってくる。

こっちも泣きたい。


そうや。


と、その時に、”ねんねソング” を思い出した。

慌てて、スマホを取り出し、検索する。

片手で、孫を抱き、片手で検索するので、腕はさらにプルプルのプルプル。

それでも、検索している間は、孫も一緒にスマホの画面をのぞき込み、いったん泣き止む。

おっ。

いけるか。

”ねんねソング” 効果が発揮されるところに、遭遇できるのか。

あった あった。

最大ボリュームにして、急いで、PLAY。

両手で抱っこをするために、スマホをポケットにしまう。

途端に、孫の泣き声が、歌をかき消していく。

なんやあ。
効果は、ないのか?

とりあえず、一曲は聴いてみよう。

孫は、泣いたまま。

でも、曲が終わり、私がスマホを操作し出すと、また一緒に画面をのぞき込む孫。
もちろん、泣き止んでいる。

そして、曲が始まり、スマホがポッケにしまわれると、また大音量の泣き声となる。

もう、なんなんや~~~。

こうなったら、私も、気を紛らすために、しっかり曲を聴いてみるか。

腕はプルプル、心ぽきぽき。

耳だけは、泣き声に邪魔をされながらも、歌詞に集中する。


♪ 僕は知ってるよ
 ちゃんと見てるよ
 頑張ってる君のこと


もちろん、この後も続くんだけど、この3行にガツンとやられる。


気がつくと、私の目から、涙が、滝のように流れていた。

孫の飛び散る涙にも、負けないくらい、たくさんの涙。


なんで、泣いてんの?

孫が、なかなか寝てくれないのが、そんなに悲しい?

いやいや。ちがうな。

なんか、こんな風に言われたいって思いが、一気に押し寄せてきた感じになったのだ。

こんな風に、言ってくれる人が、世の中にいるってことに、ガツンと衝撃を受けたのだ。

ガツン ガツン。

そのガツンが、滝の涙の引き金になったようだ。
静かに(ほんとは、孫の泣き声があるから、静かとちゃうけど。)、涙が流れ続ける。

私も、知ってほしかったんやな。
   見てほしかったんやな。

評価なんかされなくたって、ただただ、見てくれてるだけでいいから。

私が、日ごろ、何をしているのか、何を考えているのか。

何が好きなのか。何を食べているのか。
何に悩んでいるのか。
何に困っているのか。
何を頑張っているのか。

それを、知ってほしかったんやな。

涙が流れ落ちるほどに、こんなにも、見ていてほしいって思ってたんや。

そんなことを思っている自分に驚く。

そうやねん。

知ってほしいねん。
見ててほしいねん。

そういう思いは、たとえ、何歳になってもおんなじなんやなあ。


孫は、いつしか眠っていた。

”ねんねソング” は、とっくに終わっていたけど。



娘も、”ねんねソング” と言いながら、自分の応援歌にもしていたんやなあ。

初めての育児で、心身ともに余裕のない中、孫と一緒にこの歌を聴きながら。

そうやったんかあ。

娘も、娘なりに、頑張ってきたんやもんなあ。


もう、実家に帰ってきた時に、ねこそぎ食料品を持って帰っても、悪口言わんようにせなあかんなあ。

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