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私は生きることに向いていない
彼女は折に触れて、「私は生きることに向いていない」と口にする。
人との付き合いで感じるストレスや、自分自身のバイタリティを他人と比べての発言だという。だが決して全てを投げ出すわけではなく、向いてないのはしょうがないと開き直ってやるべきことをやる。
私に言わせれば、この社会を生きていくことに対して彼女は相当向いていると思う。
とはいえ、かく言う私も自分自身は生きるのに向いていないと思う。私はやらなければならないことをやらない。
仕事やプライベートを問わず、その日までにやらなければならないことをその日以前に始めることができない。さらに言えば、期日が来てやっと動き出せば良い方で、期限を過ぎてしまったり、有耶無耶にしてしまう事もしばしばある。
その度に反省はするし、自己嫌悪に陥る。ではなぜ改善せずに同じことを繰り返してしまうのか。それは、本当の意味での反省や自己嫌悪を経験していないからなのではないだろうか。
私の中でその類の感情は過去のものとなり、現在には影響を及ぼさない。未来の自分や周りに迷惑をかけるとわかっていても、現在の”楽”を選択する。なんて稚拙な人間なのだろうか。
ただ、人より向いていると感じる部分もある。
私は人間関係にストレスを感じることがほとんどない。周りと比べて職場や友人などの環境にとても恵まれているからだと思っていたが、年を重ねるごとに自分が鈍感なだけなのではと考えるようになった。
これは人間関係に限った話ではない。受験や就活での失敗、あらゆる勝負ごとでの敗北に対して負の感情が薄い。とても悪く言えば向上心が欠落しているのである。
その特性を生かして、ノンストレスで為すべきことを為さなければならないのだが、やはり挫折や後悔があることで行動に移せるのだと、悪い方向に開き直ってしまう。
さらには私は自己肯定感が高いのでタチが悪い。マイナスな評価をされても、あいつには私の良さが分からんのだと思えるし、自分は周囲の人間より器用でユーモアがあると思っている。
客観的に考えれば、そのような底意地の悪さは大概見透かされているが、自分に限ってそんなことはないという未熟な思考を捨てることはないのである。
いくら理屈をこねようが捉え方次第だ。結局のところ生きている時点で向いているのである。生きているのだから。
この世の心理に気が付いたとでも言いたいような文章だが、中身のないあり触れた思い付きだ。自分の発言に保険をかけてしまうのも、私の悪い癖である。
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