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岸田政権は「空気」に流されるのか(民主主義の劣化と旧統一教会問題)

最近の日本社会は「空気」に流されることが多すぎて、日本の民主主義が著しく劣化していることを痛感しています。

19世紀にアメリカの民主主義の問題点を鋭く批判したトクヴィル。

民主主義の劣化について、トクヴィルの言説を用いた伊藤貫氏の論考がとても参考になります。

トクヴィルによれば、「神」という概念を持たない限り、人間は価値判断の基準と呼べるものを持てないという。超越的な神や究極の真善美が存在しないのなら、人間は「全ては目先の状況次第」という価値相対主義の世界で生きることになり、オポチュニズムやニヒリズムの泥沼から脱出できなくなるからである。人間社会に必要な「自由」と「放恣・乱脈・無節操」の識別も、明らかでなくなる。「神が存在しないのなら、全ては許される」からである。

伊藤貫「トクヴィルの民主主義批判」『クライテリオン23年7月号』

「神という概念があってこそ、人間らしい価値判断力を持つことができる」

僕も家庭連合(旧統一教会)の会員として、創造主・神の存在を認知しております。

なので、トクヴィルの論調に心から共感します。


今回の本題は、「神がいるかいないか」ではなくて、最近の日本社会が「空気」を優先して、トクヴィルが指摘した「全ては許される」状態になりつつある、ことについて。


日本はかつて「空気」に流されたことで、勝ち目のない戦争に突入していきました。

この空気に流されるという現象は昔話ではなく、コロナ禍で頻繁に見られるようになりました。

僕はコロナ禍後?の旧統一教会問題で、日本政府から多大な不利益を被ろうとしている当事者の一人として、空気に流される日本社会・日本の民主主義にとても危機感をもっています


民主主義の問題点はいろいろありますが、大きな欠陥は一人ひとりの人間の内面を価値視していないところです。

「一人一票」という考え方はすごく聞こえはいいけれど、ここでは、一人ひとりの思考や人格の質を問いません。

民主主義は人間を「数として平等」にすることにフォーカスしただけで、人間の尊厳性を価値視していないんです。

だから、民主政治では議員の質がどれだけ低かろうとも、「数が多ければ正義」みたいなことになってしまいます。

最終的には、とにかくパフォーマンスが上手でマスコミや国民に受ける議員が正義、みたいになってしまいます。

また、ほとんどの国民は真の国益や中長期的に国力を高めていくことなどを普段考えていないし、願ってもいません。

とくに平和ボケした日本では、そんな概念が長らく必要ありませんでした。


民主主義社会の大きな特徴として、マスコミが巨大な権力をもっています。

しかし、日本のマスコミの劣化ぶりは、ジャニーズの性加害報道でも明らかでした。

この問題を大手のマスコミほど一切報じなかったのは、利害関係が絡んでいたからです。

「報道すれば、不利益を被るかもしれない…」

だから、深刻な犯罪行為だと知りながら、大手マスコミはこぞって黙殺していました。

彼らの論理に「正義や倫理」などありません。あるのはただの商業主義です。

民主主義社会の大きな問題点(の一つ)は、巨大な権力をもつマスコミが国益や人倫道徳を軽視して商業主義に徹していたとしても、そんな低俗なマスコミを是正するすべがないことです。

質を軽視する民主主義の社会の中で、国民は低俗なマスコミに触れながら、低俗化を避けられない。

民主主義社会の中では、全体的に「質が低下していく」という現象を避けられない。

だから、トクヴィルが言うように「神」、あるいは「天」が必要なんですね。(こっちは今回の本題ではない)


家庭連合には岸田政権が問題視する「組織性、悪質性、継続性」がないのは明らかです。

詳細は、中山弁護士(信者ではない第三者の方)がすでにわかりやすく解説してくれています。


しかし、人倫道徳を軽視して商業主義に徹するマスコミが報道で煽りまくったことで、世論は圧倒的に「旧統一教会は解散せよ」となっています。

岸田首相(自民党総裁)は事実関係などをよく精査もしないで、「関係断絶」と言ってしまった。

そして、岸田政権は家庭連合への解散請求を出そうとしています。

解散請求権が出されるというのは「あなた達の組織に存在する価値はない」という烙印を、日本国政府によって押されることに意味しますよね?

酒もタバコもパチンコも不倫もやらない、まあまあ善良な人が多い家庭連合だと思います。

しかし、現実や事実よりも「旧統一教会=悪」という空気がとにかく優先されています。


個人的なことを言えば、僕は献金を誰かから強要されたこともなければ、もちろん強要したこともないです。

むしろ、僕は子育て世代として家庭連合のコミュニティにすごく感謝しています。

孤独孤立問題が深刻な日本社会。家庭連合がなければ、孤独孤立化はわが家も他人事ではなかったと思っています。

以前、そんな記事も書きました。


「小選挙区制になって、国会議員は地元を全然理解してない」と言われますが、家庭連合コミュニティに救われている家庭は現実的にいって、少なからず存在します。

岸田首相に自覚はないと思いますが、岸田政権は僕らのコミュニティを破壊しようとまっしぐらに進んでいます。

その原因は、岸田首相の「聞く力」が片耳だけで発揮されているからかもしれません。


日本は70数年前、「空気」に流されて亡国の道へと突き進みました。

「空気に流される」というのは日本社会の「終わりの始まり」のように感じます。

岸田首相には踏みとどまってほしいと願ってやみません。

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