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「持続可能な夫婦」に必要な価値観は1つだけ(祝福結婚の現実も紹介)

持続可能な夫婦ってどんな夫婦だと思いますか?

夫婦がお互いに「なくてはならない」と感じ合えてる夫婦かなと思ってます。

妻(夫)は特別な存在

結婚出発時にはその思い、たしかにあったけど、いつの間にかそんな思いが消え失せてる…

こういう例は少なくないんだと思います。

僕と妻は旧統一教会の祝福結婚(合同結婚式)を受けました。
結婚して3年間、お互いにイライラが多い夫婦でした。
ただ、夫婦関係を管理して、溝が深まらないように努めました。
結婚して7年半がたち、夫婦らしさはだいぶ深まってきたと思います。

「合同結婚式は人権侵害!」
メディアのコメンテーターから、僕たちの結婚はかなり批判されました。
ただ、これは事実ではないです。
むしろ、僕と妻は祝福結婚だったから今がある。
これは紛れもない事実。

今回は、

  • 祝福結婚(合同結婚式)が「持続可能な夫婦」になりやすい理由

  • 「持続可能な夫婦」に必要な価値観(1つだけ)

について紹介します。


合同結婚式は人権侵害ではない


祝福結婚(合同結婚式)について、どう思いますか?

・自分の意思で相手を決められなかった。
・無理やり結婚させられた。

このように主張する元信者の話に、僕はとても違和感があります。

人生で最大級に大事な結婚を、自分の意志でやらない人がイマドキいますか?
僕は妻を紹介されてデートした後に「結婚するかどうか決めてください」と紹介者に言われて、自分で決めました。

昔、教祖が配偶者を選んでいた時代もそうです。
教祖が相手を選ぶことをわかった上で、自分の意志でその場に参加していたわけですから。

まだまだ子どもの頃(12歳とか)に、親に言われて祝福結婚を受けたのであれば、「相手を決められた」「無理やり結婚させられた」というの主張はそのとおり。
でも大人であれば、自分の言動、自分の結婚について、自分で責任をもつのが当たり前。

本来、そうですよね?

洗脳・マインドコントールという概念を使って、現実をごまかしてはいけないですよ。
通常の大人であれば、自分の選択には自分で責任を持つべきでしょ。

ただ、これは一つの正論。
これが絶対正しい考えだと言いたいわけじゃないです。

いろんな家庭・親子の事情があります。
「自分の選択には自分で責任を持つべき」とはとても考えられないケースもあると思います。
子どもが小さい頃から、親が子どもの人格を十分に尊重しなかった、尊重できなかった、とか。

「大人であれば、自分の言動、自分の結婚について、自分で責任をもつのが当たり前」という正論がしっくりくる教会・社会になったらいいなと思ってます。


「絶対」という根拠


大事なことなので言わせていただきます。
祝福結婚は「神を中心に」行う結婚です。

宗教的な話でスミマセン。
これは祝福結婚の核心です。当たり前ですが、こんな話は全く報道されてません。。

日本で「神」というと、菅原道真(福岡の大宰府天満宮)のような方も神(学問の神様)なので、とてもわかりにくいんです。

家庭連合でいう「神」とは、唯一無二の創造主。
ユダヤ教やキリスト教、イスラームと同じ一神教です。

創造主は見えません。形もありません。
なんせ、創造主はビックバンよりも前から存在されてますから、とてつもなくピンとこない存在です。
創造主は宇宙を創造されただけでなく、人間一人一人が存在する根拠にもなっています。

そして、創造主は絶対的な存在。
この宇宙に存在する、あらゆる「絶対」の根拠は創造主からきます。
物理法則もそうだし、「すべての人間は絶対的に価値がある」みたいな話もそうです。

人間に「絶対」という根拠はありません。
だから人間を中心とした結婚には妻(夫)が「運命の人」だという根拠は見つからない。
たとえどれだけ2人が愛し合っていても…
と僕は思います。

恋愛を知らない僕の浅はかな考えかもしれんですけどね。


祝福結婚の現実


祝福結婚は「創造主を中心とした結婚」です。
そして、祝福結婚を受けた僕にとって、妻は絶対的に特別な存在。
妻は僕にとって「運命の人」なんです。

これはある意味で、僕の「思いこみ」ともいえます。

「なに訳のわからんことを言ってるのか?」
「それが洗脳なんだよ。カルトだよ」
という批判はごもっともかもしれない。

ただ、僕が言いたいのは「現実」なんです。

現実として、僕と妻はかなり相性が合わなかった。
たぶん離婚してもおかしくないくらい、イライラすることも多かった。

でも、結婚して7年半たって、妻ほどに深い人間関係は地球上にありません。
僕と妻は結婚して7年半ですが、毎日キスを3回以上、ハグは10回くらいする日も珍しくない。

夕食は妻のお話を聞く時間と思って過ごしてます。
僕が妻のことを人に悪く言うことも絶対にないです。
「家庭という空間は妻が幸せになるための空間」と心得て、妻の感覚や意見を尊重します。

僕と妻の関係は「イライラ」から「かなり良好」に進化しました。
この理由の第一にくるのが「家庭連合の理念に基づく祝福結婚だから」です。

もちろん、僕も妻も頑張りました。
どう考えても、相性合ってなかったし、僕は妻を無視して仮面夫婦で生きる選択もあったかもしれない。。悲しいけどね。

「妻は僕にとって絶対」という根拠があるというのは、やっぱり大きかったんですね、現実的に言って。


さいごに(たった1つの価値観)


現代は夫婦円満はおろか、夫婦を持続可能にすることさえ難しい時代です。
理由は単純だと思ってます。

いろんな価値観や情報がありすぎるからです。

僕はシンプルに、「妻(夫)は特別な存在」という思いがブレなければ夫婦は持続可能だと思ってます。

妻(夫)は特別な存在だから、すれ違い、思い違い、行き違いみたいなことがあれば、相手の思いをちゃんと確認する。
こちらの思いも伝える。

僕が思うに、「妻(夫)は特別な存在」という一番大事なことを「大事に思わせない価値観や情報」が多すぎます。
夫婦にとっては大変な時代ですよ。

価値観が定まらない。
情報が多すぎる。
だからこそ、宗教にはそれなりの意義があると僕は思ってます。

宗教は体系的な価値観を提示して、「価値観の軸」を与えてくれます。

なかでも一神教は「絶対」という概念を提供してくれます。
絶対という価値観の軸があると、現代のような社会では生きやすいと僕は思いますね。

一神教に加えて、家庭連合(旧統一教会)には価値観・世界観が体系的にしっかりしてます。
みなさん知らないと思いますけど、実はそうなんです。

なので、根拠を求める頭デカ男(僕みたいなヤツ)には論理的に納得感があっていいんですよね。

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