見出し画像

2024のはじまり

○だいぶご無沙汰してしまった。この日記を書き始めた頃、わたしはこれまでにないくらい本当に弱っていて、スイッチを入れさえすれば仕事はできたが、そのままオンオフができずだいぶ駄目になっていた。
○どうやって治っていったのか、本来ならそのプロセスをこそ残せておければ良かったのだろうが、本当の治癒のためにはここからも離れる必要があった。毎日、何かを書こうとすれば、ぐるぐると思考が回ってしまう。
◎思考がぐるぐると回った末に、堂々巡りになって何の解決にもなっていない。それは思考ではなくて、ただただ思いを巡らせている状態だったのだろう。巨大な渦の上を小さなボートでぐるぐる回っていた。

●仕事の判断をする。家族と会話をする。海外ドラマを見る。好きなものを好きなだけ食べる。オールナイトニッポンを聴く。誰かのなんでもない笑える話をとにかくいっぱい聴く。美術作品を見る。テトリスをする。
●そうやって自分で自分をほうっておいてあげたら、少しずつ治っていった。

◎と、上記は2023年の10月頃に書き留めておいたものだが、下書きに入ったまま書き上げられなかった。

○で、改めて今書き始めたのは、抱負のようなものを書こうとしたわけじゃなくて、むしろ昨年の振り返りをしておきたかったのだけれど、長いはずの休みもあっという間に半分以上過ぎてしまい、2023年が終わっていて書きそびれてしまった。
○ここ数ヶ月だけでも振り返るならば、10月の父の再入院以降プライベートも、会社もずっとバタバタしていてまったく余裕がなかったので書けなかった。

○で、この数日の休みを一人で過ごしてしっかり休めたので、あまりに体も頭も鈍ってしまっているのを感じ、ここが素振りの場所だったことを思い出した。
 生活の記録というよりも、どちらかといえば脳を動かすために。どんなに短くてもよく、ただよく見るためのスケッチの練習のように、ちょっとした技法を試すためにも、そんな場所をもう一度取り戻してみようと考えたのだった。

●夕方、久しぶりに長い地震があって、地震警報が鳴り、テレビ放送は一気に正月のゆったりしたムードから緊張感のある空気に、家の中も変わる。我が家も揺れた。義実家に帰っているこどもから電話があって、こちらの心配をしてくれた。震度3か4くらいで無事であることを伝えると安心していた。一緒に電話を繋げたままテレビの中で瓦が落ちていったり、津波の映像を見ていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?