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愉快な一日を願う、二月の終わりに
○一日一日をとにかく楽しく愉快に生きることができるといいなと思う。
●朝は5時半に目が覚めるけれど、結構深い眠りが長く続いていて、全体的に調子は戻っている。昨日の事件がなければなおのこと良かったが、まあ、起きてしまったことはしょうがない。ここから先をどうするかに集中する。
●この日記も先月末から始めて約1ヶ月が経った。
○うまく書ける時とそうでない時、やはり分析や描写だけ書いていればいい時は脳が楽だからついそれに頼ってしまう。もちろん、分析は分析で、描写も描写で、突き詰めると通り抜けてフィクションにも詩にもなると思ってはいるんだけど。
○Twitterで教えてもらったこの本を早速注文。
まさにわたしの考える日記はこういうものだ。日記なのか、エッセイなのか、フィクションなのかわからないようなものがいい。それでもわたしはひよって記号を文頭につけてしまっているけれど、本当はそんなものはなくていい。
自伝とフィクション、詩、エッセイのあいだを自由に行き来する文章。自分を生きることと書くこととのあいだに境目がない、そのあいだに自らが深まっていくような、ノルウェーの思索的作品だ。トマス・エスペダル 枇谷玲子訳『歩くこと、または飼いならされずに誌的な人生を生きる術』(河出書房新社) pic.twitter.com/0gzwbdKGFj
— Title(タイトル) (@Title_books) February 27, 2023
人の夢の話はつい浅はかに解釈してしまうけれど、それほど単純なものではないはず。
いい子を演じ続けてしまった結果、いい子であり続けなければならなくなったから、無邪気に笑って、よいとか悪いとかの判断をこえる存在になろうとする。
○何にも考えないでいい友達とただただ無駄話して笑って過ごせる時間が欲しい。
○あるいは、誰とでもなくてもとにかく楽しく愉快に一日一日を生きたい。それはどんな環境でも可能だろう。自分次第だから。
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